前橋地方裁判所 昭和49年(ワ)25号 判決 1979年8月21日
群馬県伊勢崎市太田町五〇九番地の四
原告(昭和四八年(ワ)第一六号事件、昭和五二年(ワ)第二八一号事件) 新井イ子
<ほか二四名>
原告ら訴訟代理人弁護士 高田新太郎
同 大塚武一
同 金井厚二
同 高坂隆信
同 小林勝
同 角田義一
同 富岡桂三
同 野上恭道
同 野上佳世子
同 広田繁雄
同 山田謙治
同 朝倉正幸
同 入倉卓志
同 尾崎俊之
同 小川芙美子
同 小山出来雄
同 金丸弘司
同 菅野兼吉
同 斎藤一好
同 斎藤義雄
同 清水洋二
同 城口順二
同 白川博清
同 杉山悦子
同 鈴木堯博
同 田中健一郎
同 土山譲
同 富田政義
同 豊田誠
同 中村雅人
同 畑山実
同 美里直毅
同 村野守義
同 柳沢尚武
原告ら訴訟復代理人弁護士 坂東克彦
同 味岡申宰
原告ら訴訟代理人(原告中井稔、同根津ミ子、同林大英及び同町田房子を除くその余の原告らのみ)弁護士 菅野義章
同 戸丸良七
同 渡辺明男
被告(昭和四八年(ワ)第一六号事件、昭和五二年(ワ)第一六八号事件、同年(ワ)第二五九号事件) 国
右代表者法務大臣 古井喜實
被告国指定代理人 吉戒修一
<ほか一四名>
大阪府大阪市東区道修町二丁目二七番地
被告(昭和四八年(ワ)第一六号事件、昭和五二年(ワ)第一六八号事件、同年(ワ)第二八一号事件) 武田薬品工業株式会社
右代表者代表取締役 小西新兵衛
右訴訟代理人弁護士 日野国雄
同 岡本拓
同 木崎良平
同 川本権祐
同 品川澄雄
同 本間崇
同 早崎卓三
同 中島和雄
兵庫県宝塚市美幸町一〇番六六号
被告(昭和四八年(ワ)第一六号事件、昭和五二年(ワ)第一六八号事件、同年(ワ)第二八一号事件) 日本チバガイギー株式会社
右代表者代表取締役 エッチ・エッチ・クノップ
右訴訟代理人弁護士 赤松悌介
同 高池勝彦
同 笠利進
同 井出正敏
同 井出正光
同 宮武敏夫
同 藤田泰弘
同 広川浩二
同 土屋泰
同 長内健
同被告訴訟復代理人弁護士 早川忠孝
同被告訴訟代理人(昭和五二年(ワ)第一六八号事件及び同年(ワ)第二八一号事件のみ)弁護士 直江孝久
同 渋川孝夫
同 美根晴幸
同 加藤豊三
同 玉利誠一
大阪府大阪市東区道修町三丁目二一番地
被告(昭和四八年(ワ)第一二七号事件、昭和四九年(ワ)第二五号事件、昭和五二年(ワ)第一六八号事件、同年(ワ)第二五九号事件、同年(ワ)第二八一号事件) 田辺製薬株式会社
右代表者代表取締役 松原一郎
右訴訟代理人弁護士 石川泰三
同 青木康
同 武田隼一
同 丁野清春
同 美作治夫
同 大矢勝美
同 伊東眞
同 吉川彰伍
同 榎本昭
同 小松英宣
同 野村弘
同 羽田野宣彦
同 塩川哲穂
同 大久保均
右当事者間の損害賠償請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
一1 原告新井イ子に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三六五〇万円
2 原告飯出正三に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二九〇〇万円
3 原告宇田孝に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二九〇〇万円
4 原告生方あきに対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自二六九〇万円
5 原告大前喜美代に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三二二〇万円
6 原告解良留吉に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自四六二〇万円
7 原告今とみ子に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二五八〇万円
8 原告粕川宗重に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自一六一〇万円
9 原告小林正夫に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三七六〇万円
10 原告佐野勝治郎に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は各自一八三〇万円
11 原告神保玄二に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自一六一〇万円
12 原告高橋静江に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自三二二〇万円
13 原告力石はぎのに対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自三八七〇万円
14 原告寺山理に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二六九〇万円
15 原告中里直次に対し、被告国は、三五五〇万円
16 原告林助造に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三六五〇万円
17 原告間渕亀作に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自二六九〇万円
18 原告宮崎誠進に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二三七〇万円
19 原告両角みつるに対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三〇一〇万円
20 原告山口れつに対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自三七六〇万円
21 原告吉田恵美子に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自二四七〇万円
22 原告中井稔に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社は、各自五三七〇万円
23 原告根津ミ子に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、各自二六九〇万円
24 原告林大英に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自一四〇〇万円
25 原告町田房子に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社は、各自二七九〇万円
並びにいずれもそれぞれの金額に対する昭和五四年二月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告大前喜美代及び同粕川宗重のいずれも被告田辺製薬株式会社に対する請求、原告佐野勝治郎の被告武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社に対する各請求並びに原告らのそれぞれの被告(右各請求を除く。)に対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用中、原告大前喜美代と被告田辺製薬株式会社との間で生じた分は同原告、原告粕川宗重と被告田辺製薬株式会社との間で生じた分は同原告、原告佐野勝治郎と被告武田薬品工業株式会社及び同日本チバガイギー株式会社との間で生じた分は同原告、原告らとそれぞれの被告との間(右各当事者間を除く。)で生じた分はそれぞれの被告の各負担とする。
四 この判決は、一項の1ないし25記載の各金額につき、いずれも三分の二の限度において仮に執行することができる。但し、被告国に対しては右各金額の三分の一の限度においてのみ仮に執行することができる。
事実
第一章原告らの求めた裁判(請求の趣旨)
1 原告新井イ子に対し、被告国、同武田薬品工業株式会社(以下「被告武田」という。)及び同日本チバガイギー株式会社(以下「被告チバ」という。)は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告武田及び同チバは昭和五二年(ワ)第二八一号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告飯出正三に対し、被告国及び同田辺製薬株式会社(以下「被告田辺」という。)は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 原告宇田孝に対し、被告国及び同田辺は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
4 原告生方あきに対し、被告国、同武田及び同チバは、各自四四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
5 原告大前喜美代に対し、被告らは、各自五五〇〇万円及びこれに対する被告国、同武田及び同チバは昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は昭和五二年(ワ)第二八一号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
6 原告解良留吉に対し、被告国及び同田辺は、各自五五〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
7 原告今とみ子(旧姓掛川)に対し、被告国及び同田辺は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
8 原告粕川宗重に対し、被告らは、各自三三〇〇万円及びこれに対する被告国、同武田及び同チバは昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は昭和五二年(ワ)第二五九号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
9 原告小林正夫に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
10 原告佐野勝治郎に対し、被告らは、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国、同武田及び同チバは昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は昭和四九年(ワ)第二五号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
11 原告神保玄二に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自四四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
12 原告高橋静江に対し、被告国及び同田辺は、各自五五〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
13 原告力石はぎのに対し、被告国及び同田辺は、各自五五〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
14 原告寺山理に対し、被告国及び同田辺は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
15 原告中里直次に対し、被告国は五五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
16 原告林助造に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
17 原告間渕亀作に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自四四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
18 原告宮崎誠進に対し、被告国及び同田辺は、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告田辺は同年(ワ)第一二七号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
19 原告両角みつるに対し、被告国、同武田及び同チバは、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
20 原告山口れつに対し、被告国、同武田及び同チバは、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
21 原告吉田恵美子に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自四四〇〇万円及びこれに対する被告国は昭和四八年(ワ)第一六号事件訴状送達の日の翌日から、被告武田及び同チバは昭和五二年(ワ)第二八一号事件訴状送達の日の翌日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
22 原告中井稔に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和五二年(ワ)第一六八号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
23 原告根津ミ子に対し、被告国、同武田及び同チバは、各自四四〇〇万円及びこれに対する昭和五二年(ワ)第一六八号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
24 原告林大英に対し、被告国及び同田辺は、各自三三〇〇万円及びこれに対する昭和五二年(ワ)第一六八号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
25 原告町田房子に対し、被告国及び同田辺は、各自五五〇〇万円及びこれに対する昭和五二年(ワ)第二五九号事件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
26 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
27 仮執行の宣言
第二章被告らの求めた裁判(請求の趣旨に対する答弁)
第一被告国
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱の宣言
第二被告武田
1 原告新井イ子、同生方あき、同大前喜美代、同粕川宗重、同小林正夫、同佐野勝治郎、同神保玄二、同林助造、同間渕亀作、同両角みつる、同山口れつ、同吉田恵美子、同中井稔及び同根津ミ子の各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は前項記載の原告ら一四名の負担とする。
第三被告チバ
1 原告新井イ子、同生方あき、同大前喜美代、同粕川宗重、同小林正夫、同佐野勝治郎、同神保玄二、同林助造、同間渕亀作、同両角みつる、同山口れつ、同吉田恵美子、同中井稔及び同根津ミ子の各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は前項記載の原告ら一四名の負担とする。
3 仮執行免脱の宣言
第四被告田辺
1 原告飯出正三、同宇田孝、同大前喜美代、同解良留吉、同今とみ子、同粕川宗重、同佐野勝治郎、同高橋静江、同力石はぎの、同寺山理、同宮崎誠進、同林大英及び同町田房子の各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は前項記載の原告ら一三名の負担とする。
3 仮執行免脱の宣言
第三章原告らの主張(請求の原因)
第一当事者
一 原告ら
原告らはいずれもスモンの患者である。
二 被告武田、同チバ及び同田辺
右被告ら三名(以下「被告会社ら」という。)はいずれも医薬品の製造、輸入又は販売(以下「製造等」ということがある。)を業とし、キノホルムを有効成分として含む医薬品(以下「キノホルム剤」という。)の製造等を左のキノホルム剤一覧表記載のとおりしたものである。
キノホルム剤一覧表
番号
キノホルム剤の販売名
製造等をした被告
許可又は承認と
その年月日
1
エマホルム
製造・販売田辺
製造許可 昭31・1・17
2
エマホルム錠
製造・販売田辺
製造許可 昭31・1・17
3
エマホルム錠(〇・二五g)
製造・販売田辺
製造許可 昭35・1・8
4
エマホルム錠(〇・五g)
製造・販売田辺
製造許可 昭35・3・12
5
複合エマホルム
製造・販売田辺
製造許可 昭36・1・31
6
エマホルム錠(五〇mg)
製造・販売田辺
製造承認 昭37・7・10
7
エマホルムP
製造・販売田辺
製造承認 昭38・6・20
8
エマホルムS
製造・販売田辺
製造承認 昭40・4・1
9
エンテロ・ヴィオフォルム錠「チバ」
製造チバ
販売武田
製造許可 昭35・10・3
10
エンテロ・ヴィオフォルム散「チバ」
製造チバ
販売武田
製造許可 昭35・10・3
11
エンテロ・ヴィオフォルムシロップ
輸入・製造チバ
販売武田
輸入承認 昭40・11・25
12
メキサホルム散「チバ」
輸入・製造チバ
販売武田
輪入承認 昭37・5・12
13
強力メキサホルム散「チバ」
製造チバ
販売武田
製造承認 昭37・11・26
14
強力メキサホルムA散「チバ」
輸入・製造チバ
販売武田
輸入承認 昭38・6・8
15
強力メキサホルム錠「チバ」
輸入・製造チバ
販売武田
輸入承認 昭39・6・11
三 被告国
被告国は厚生大臣をして医薬品の製造又は輸入について許可又は承認(以下「製造承認等」ということがある。)をさせているものであるところ、厚生大臣は右のキノホルム剤一覧表記載のとおり被告会社らが製造又は輸入したキノホルム剤につき製造承認等をした。
第二因果関係
一 キノホルム剤服用による原告らのスモン発病
原告らは第五の一ないし二五の各3に記載のとおり(原告中里直次については服用したキノホルム剤の販売名が不明なので記載してない。)、それぞれ被告会社らが製造、輸入又は販売したキノホルム剤を服用したためスモンが発病したものである。
二 スモンとキノホルムの因果関係
スモンとキノホルムの間に法的因果関係が存在することは、次のとおりスモンとキノホルムの関係に関する疫学的事実とそれを裏付ける医学、薬学上の知見、特に動物実験によって、明らかである。
1 (スモン発症前にキノホルム剤を服用したこと) スモン調査研究協議会(以下「スモン協」ということがある。)の第一回目の調査では、スモン患者の神経症状発現前六ヵ月間のキノホルム剤服用率は八四・七パーセント、第二回目の調査ではキノホルム剤服用率は八三・四パーセントである。また、個々の研究者の疫学調査では、スモン患者のキノホルム剤服用率は極めて高率(約九〇ないし一〇〇パーセント)である。
2 (キノホルム剤とスキンの密接な関係) わが国におけるキノホルム剤の生産・輸入量とスモン患者発生数との間に並行関係が認められ、キノホルム剤の使用量とスモン発症数との間にも高い相関関係が存在する。そして、キノホルム服用量とスモン発症率との間にドース・レスポンス・リレイションシップ(量と反応の関係。すなわち生体に対する負荷量、本件でいえばキノホルムの服用量と、生体側の反応、本件でいえばスモン発症率との間に一定の関係が存在すること。)が成立する。
3 (行政措置によるスモン発症の激減と終息) 厚生省は昭和四五年九月八日キノホルム及びキノホルム剤の販売中止と使用見合せを指示する行政措置を行なったが、以後スモン患者の発生は激減し、終息した。
4 (動物実験による確認) イヌ、ネコ、ウサギ、ウズラ、ラット、モルモット、ニワトリ等多くの種類の動物において、キノホルム投与によってスモン様症状が発生することが、実験により確認された。
三 因果関係に対する被告らの自認
被告会社らは昭和五一年六月一〇日東京地方裁判所において、和解を申出る前提として、「私どもは、日本においてキノホルムがスモンと因果関係のあったことを認めます。」と述べ、因果関係を自認した。また、被告国は「因果関係についてはスモン調査研究協議会の結論に従う。」と述べ、全く反論を行なっていない。従って、本件訴訟においては裁判所は因果関係については争いのない事実として認定すべきである。
第三責任
一 被告らの「無過失」責任
スモンをはじめとする薬害の多発は、安全性抜きの大量生産・大量販売体制の確立に伴ってもたらされたものであり、このような消費者被害は、安全性抜きの大量生産・大量販売に代表される現代の資本主義経済社会の構造に根ざすものであるから、「構造的被害」として把握される。すなわち、本来的な危険性をもつ医薬品は直接人体に対して用いられるものであるから、それに欠陥があれば人の生命健康に重大な被害が及ぶことになるのは必然的である。そして、独占的な製薬企業は生産流通機構を支配しており、国も国民の健康を守る立場からこれを規制できるのであるから、製薬企業及び国はその支配領域内に発生する薬害を容易に防止できる地位にある。しかるに、製薬企業は利潤追求を至上目的として安全性抜きの医薬品の大量生産・大量販売を行い、また、国も製薬企業を保護育成し、あるいはこれに癒着して安全性の確保をないがしろにしてきた。このようにして大量生産・大量販売の過程を通じて薬害が発生した場合は、そのシステムの運営に客観的な瑕疵があったからにほかならないといえるので、構造的把握からすれば、それは、まさに有過失行為そのものなのである。従って、薬害という「構造的被害」が発生した以上は、それは製薬企業及び国の「構造的過失」によってもたらされたものといわざるを得ない。
このように、薬害という「構造的被害」においては当然に「構造的過失」が存在しているので、被害者の側で、製薬企業及び国の過失の存在を立証するまでもなく、それは明らかであるという結論になる。従って、製薬企業及び国に対し、薬害による被害発生の責任追及をするには、過失の存在を立証必要な要件とはしないという意味での「無過失」責任の法理が採用されなければならない。
右に述べたような「無過失」責任の実質的な根拠について、「無過失」責任をとることの必要性も含めて、述べることにする。第一に、基本的根拠として挙げなければならないことは、立場の交替不可能性ということである。医薬品の消費者である国民は、薬害については常に被害者の立場にしか立てず、決して製薬企業や国のような加害者の立場に立つことはない。従って、製薬企業及び国の支配領域内に原因をもつ薬害による被害については、当然製薬企業及び国が責任を負うというのが、公平の原則に適合する所以である。第二に、危険責任も重要な根拠である。医薬品は本質的に危険な物質であり、それが大量生産になじみ、しかも未知性の大きい合成化学医薬品になると一層危険性が増し、大量生産・大量販売体制の下で専ら利潤追及の手段として用いられると危険性は飛躍的に増大する。このような危険物質である医薬品を、製薬企業がその支配領域内において流通に置き、また、国が流通に置くことを認める以上、流通過程で発生する薬害に対して製薬企業と国が責任を負うべきである。第三に、報償責任も根拠として考えられる。製薬企業は医薬品を専ら利潤追求の手段として扱い、利潤追求過程において薬害を発生させたのであるから、その損害について責任を負うのが公平である。また、国についても製薬企業の利潤追求行為に加担しているということが考慮されるべきである。第四に、薬害という「構造的被害」の一つの特徴である被害の深刻性と被害の広範性も、「無過失」責任をとることの必要性として挙げられる。第五に、薬害については、加害者側が責任を曖昧化しようとすることも、「無過失」責任をとることの必要性として挙げられる。薬害の場合には、医薬品が開発されてから流通に置かれ、更に消費者の服用に供されるまでに、複雑な仕組の中でいろいろな者が関与しているため、加害者は互に責任を他に転嫁し、しかも薬理作用が複雑であることをことさらに強調して、責任を曖昧にしようとする。そのため、被害者側で加害者の過失を立証することが困難になる場合が多い。従って、「無過失」責任が認められる必要性が大きいのである。
二 被告会社らの過失責任
1 (製造等開始時における責任) 被告会社ら製薬企業は、医薬品の製造、輸入、販売を開始するにあたり、当該医薬品によって人の生命健康に不測の危害を与えることを未然に防止するため、当該医薬品及びその類似化合物について世界最高水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験及びヒトにおける臨床試験をし、更に臨床使用の経験のある医薬品については臨床使用の追跡調査を行うことなどによって、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・分布・代謝・排泄の程度、毒性の内容と程度等を調査研究し、もってその安全性を確認する義務がある。そして、右のような調査研究の結果、当該医薬品によって人体にとって無視し得ない危害が生じるおそれが予見された場合には、当該医薬品の製造等の中止を含む万全の結果回避措置をとらねばならない。
そして、キノホルム剤については、次のような危険性を疑わせる事実があり、しかも、これらの事実は被告会社らが当然知っていたか、あるいは右の調査研究を少しでもすれば容易に知り得たところであった。
(一) キノホルムは、一九世紀末に初めて合成された合成化学物質で人体になじみがなく、これを人体に用いた場合何が起こるかわからない危険性があったし、また、当初外用消毒殺菌剤として開発されたものを何らの安全性のチェックなしに内用するに至った経過があって、人体の如何なる部位に如何なる危害を及ぼすかもしれない危険性があった。
(二) キノホルムがかなりの範囲で吸収されることが判明し、従って神経はじめ体内の各部位に分布し、そこを障害するかもしれない危険性が考えられるようになった。
(三) 添加剤としてサパミン、カルボキシメチルセルロース等を加えることにより、キノホルムの吸収が増大し、毒性発現の危険性が一層大きくなることが予測された。
(四) キノホルムは劇薬性を有し、激しい作用により人体にいかなる重大な害作用を及ぼすかわからない危険性があった。そして、諸外国では劇薬に指定されており、わが国でもかつて劇薬に指定されていたことがあり、それが合理的な理由もなく解除されたという歴史があった。
(五) キノホルム及び類似化合物の神経障害性、胃腸障害性、肝臓・腎臓障害性等に関する多くの情報が存在した。右情報として、例えば、一般的な危険性についてはデイヴィッドの警告(昭和二〇年。アメリカ医師会雑誌「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」)、神経障害についてはホーグの報告(昭和九年。「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」)、多くの動物実験における報告、スモン様症状が発現したとするグラヴィツの報告(昭和一〇年。ラ・セマーナ・メディカ誌「アメーバ症の治療における新しいオリエンテーション」)及びバロスの報告(昭和一〇年。ラ・セマーナ・メディカ誌「増えゆくアメーバ」)等がある。
以上の事実を前提とすれば、被告会社らは、キノホルム剤の製造等を開始した頃までに、キノホルム剤によって人体にとって無視しえない危害が生ずるかもしれないという危惧感を持ち得ただけでなく、実際には、キノホルム剤によって人体に神経障害を含む重篤な害作用が生ずるかも知れないことが十分に予見し得たのである。従って、被告会社らはキノホルム剤の製造等を開始した当時キノホルム剤によって人体に神経障害を含む重篤な害作用が生ずるかもしれないことを予見し、それを避けるために製造等の中止をすべきであった。しかるに、被告会社らは、安全確認のための十分な調査研究もせず、キノホルム剤の製造等を開始してスモンを発生させたものであるから、その過失責任は明らかである。
2 (製造等開始後における責任) 1で述べたとおり被告会社らはキノホルム剤の製造等を開始した頃までには、キノホルム剤によって人体にとって無視し得ない危害が生ずるかも知れないという危惧感を持ち得たことはもちろん、人体に神経障害を含む重篤な害作用が生じるかも知れないことまで予見し得たにもかかわらず、安全確認義務を尽くさないまま、製造等を開始したものであり、その責任は明白である。従って、被告会社らの製造等開始後の安全確認義務及び結果回避義務について論ずるまでもないのであるが、ここでは、被告会社らの責任が年を追うごとに重大化していったこと、そして、被告会社らの行為がいかに犯罪的であるかを明らかにする。
被告会社らは、キノホルム剤の製造等を開始した後も、既に述べたと同様の安全確認義務を当然に負っている。とりわけ、被告会社らはキノホルム剤の製造等を継続している以上、その臨床使用例を容易に調査することができたのであるから、病院などからの害作用報告を待つだけでなく、積極的に臨床使用例を徹底的に追跡調査するなどして、キノホルム剤の有害性を具体的・徹底的に追及すべきであった。しかも、次に述べるように重要な害作用報告が年毎に多数集積していき、キノホルム剤が人体に神経障害を含む重篤な障害を及ぼす危険性が一層現実的、具体的になっていったのであるから、被告会社らは当然キノホルム剤の製造等を直ちに中止するなど結果の発生を未然に防止すべき義務があった。
(一) 被告会社らのキノホルム剤の製造等開始から昭和三五年までの間には、キノホルムにより胃腸障害・肝障害が発現するとの報告が続き、神経障害が発現したとするホッブスらの報告(昭和三四年。ランセット誌「クロロキン療法に伴う網膜症について」)及び水間らの報告(昭和三五年。「アクロデルマチチス・エンテロパチカの知見補遺」)等があり、アメリカ・FDA(食品医薬品庁)は昭和三五年チバ社に対し「ヨードクロールヒドロキシキンの使用はアメーバ症のような重症疾患の治療に限定すべきである。」との勧告をした。
(二) 昭和三六年から昭和四〇年までの間には、実験動物に神経症状が発現したとの報告が続き、キノホルムによりヒトに歩行障害が発現したとのゴルツらの報告(昭和三九年。アメリカ熱帯医学衛生学雑誌「ヨードクロールハイドロキシキンによるアメーバ症及び細菌性赤痢の予防並びに治療」)があった。
(三) 昭和四一年以降もランセット誌のアノティション(昭和四三年。「クリナキノールと他のハロゲン化ハイドロオキシキノリン」と題してキノホルム剤の服用による障害の発生があり得ることを警告)等キノホルム及びその類似化合物についての害作用情報が年々集積した。
三 被告国の過失責任
1 (国の安全確保義務とその懈怠)
国は医薬品の局方収載、製造又は輸入についての許可又は承認にあたり、当該医薬品及びその類似化合物について、世界最高の水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験、ヒトにおける臨床試験及び臨床使用の追跡調査などを申請者たる製薬会社に行わせるか、又は必要に応じて国自らもこれらを行い、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・代謝・分布・排泄の程度、毒性の内容と程度、諸外国における規制の状況等を調査研究し、もって、人体に不測の被害を及ぼさないように、危険な医薬品は局方収載・製造承認等をせず、また、局方収載・製造承認等をする医薬品についてはその用法、用量、副作用、禁忌などについて厳重な規制をして、消費者たる国民の生命健康を守る安全確保の義務がある。国のこの安全確保義務は、次のいずれもが根拠となるものである。
(一) 医薬品は人体に直接的に作用するものなので、万一医薬品の安全性が確保されないときは、広範な国民の生命健康に回復不能の甚大な被害を与えるものである。そして、医薬品は商品として営利活動の対象となっているが、医薬品の安全性の確保を製薬会社のみに委ねることは危険であり、国こそが医薬品の安全性を確保する法的義務を担うべき社会的必要がある。
(二) 医薬品に対する国家的規制についての諸外国の法制は、医薬品の安全性を確保することを国家的な義務として確立する方向に推移している。
(三) 行政法理論においても、薬事行政を警察法上の規制とみる見方は殆どなくなって、医薬品の薬理的特質と社会的存在としての特徴からして国民の生命健康を保持増進させるための国の積極的関与が期待されているのであり、健康権が国民に固有の人権としてある限り国はその義務として医薬品の安全性を確認しなければならず、健康権の法理を採用しない場合でも医薬品の安全性を確保する行政の限度において同様の義務がある。
(四) 戦後の薬事行政は、単なる警察行政の域にとどまらず、医薬品の安全性を確保するため、医薬品の製造承認等における実質審査など積極的な規制をしている。
(五) 薬事法は医薬品の局方収載及び製造承認等にあたり医薬品の安全性の確保を国に義務付けたものであると解すべきである。
しかるに、国は安全確保義務を懈怠して、キノホルム剤には既に述べたとおりの多くの危険を疑わせる事実があり、害作用情報が集積していたにもかかわらず、キノホルムの有効性と安全性について全く調査研究することなく、第六改正日本薬局方(昭和二六年公布)及び第七改正日本薬局方(昭和三六年公布)にキノホルムを収載し、また、キノホルム剤の製造承認等をするに際しても、旧薬事法上違法と解される包括建議に該当するとするなどして、医薬品としての有効性と安全性については実質的な審査はすることなく、各キノホルム剤の製造承認等をしたものである。
更に、国は、医薬品を局方に収載した後及び製造承認等をした後においては、害作用モニタリング制度や害作用情報報告義務付け制度、あるいは医薬品に関する試験研究機関等の設置充実を図るなど害作用情報の収集・評価体制を整備充実して、常に十分な監視体制を整え、既に述べたと同様の調査研究を製薬会社に命じ、又は国自ら行い、もって、その安全性を引続いて確保する事後監視義務がある。そして、国は、前記事後監視の結果、当該医薬品により人体にとって無視し得ない危害が生ずるかも知れないという危惧感が生じたときは、先ず医師等の医療関係者、厚生行政担当者、医学・薬学関係の研究者、当該医薬品の製造販売関係者から国民にまで、広くかつ正確にその情報を伝え、あるいは警告を発して、右危惧感の内容と程度に応じて暫定的に適応症・用法・用量の限定などの規制、販売の一時中止等の措置を講じなければならず、それと合わせて、医薬品の危険性を正確に把握するための調査研究をし、安全性を厳密に確認して、その結果に対応して、局方収載の削除、製造承認等の取消、適応症・用法・用量の規制、要指示薬指定、劇薬指定などを行い、又は警告を発するなどの恒久的措置をとり、もって被害の発生を未然に防止し、あるいはこれを最小限度に食い止めるべき結果回避義務がある。
しかるに、国はキノホルム剤の局方収載及び製造承認等の後、事後監視義務・結果回避義務を懈怠して、既に述べたとおりキノホルム剤の害作用の存在が明白になっているにもかかわらず、昭和四五年八月椿忠雄らがキノホルム説を出すまで、全く何らの規制措置もとらなかったものである。
以上述べたとおり国は医薬品の局方収載・製造承認等について法的な安全確保義務があり、その義務を尽さなかったためスモンが多発したので、被告国には過失があり、従って、国家賠償法によって原告らが受けた損害を賠償する義務がある。
2 (厚生大臣の職務行為の違法性)
仮に国には医薬品について法的な安全確保義務が一般的には認められないとしても、次のとおり厚生大臣の職務行為が国家賠償法上違法であり、違法であれば当然厚生大臣の過失も存することになるので、国は国家賠償責任がある。
(一) 国家賠償法における違法とは客観的にみて正当性を有していないことを意味すると解すべきである。厚生大臣は第六、第七各改正日本薬局方にはキノホルムの強い毒性に思いを致すなら収載すべきではなかったのであり、仮に収載するとしても劇薬に指定すべきであったので、キノホルムを普通薬として収載したことは客観的正当性を欠いており、また、厚生大臣がキノホルム剤の製造承認等をしたことも、キノホルム剤がキノホルムに添加剤ないし配合剤を加えたものでキノホルムを単体で用いるより毒性の発現の危険が大きくなっているにもかかわらず、有効性、安全性について実質的審査をしていないので、客観的正当性を欠いている。更に、キノホルムの局方収載及びキノホルム剤の製造承認等ののちにおいては、神経障害を含む重篤な害作用報告が陸続として集積されたのに、厚生大臣が右害作用報告を見逃したことも客観的正当性を欠いている。従って、厚生大臣の右職務行為はいずれも、国家賠償法上違法である。
(二) 行政庁が法律が授権した行政権限を適正に行使せず、そのためそもそも法律が行政庁に権限を与えた意味をも無意味とさせるような事態が生じた場合には、その権限を発動しなければならない法的義務が発生すると解すべきである。本件においては、遅くとも昭和三〇年頃までにはキノホルムは極めて毒性の強い医薬品でヒトにおける神経障害を含む重篤な害作用報告がされており、製薬会社からの製造又は輸入についての許可又は承認の申請を安易に認めて製造等を許せば、これを多くの国民が服用し、そこに重篤な神経障害を発生させて健康を侵害する蓋然性が著しく高かったといえる。このような場合に、厚生大臣は憲法、薬事法の趣旨目的に照せば、もはやキノホルム剤の使用を放置することは許されず、製薬会社からのキノホルム剤の製造承認等の申請に対しては承認・許可をせず、既に承認・許可を与えたものについては製造等を中止させるなど適切な結果回避措置を講ずるべきであったのである。それにもかかわらず、厚生大臣は昭和四五年九月まで何らの規制措置もとらず多くのスモン患者を発生させたので、厚生大臣のこのような職務の懈怠(不作為)は国家賠償法上違法である。
(三) 被告会社らは、既に述べたように、キノホルム剤が極めて毒性の強い医薬品で、ヒトでの神経障害を含む重篤な害作用報告さえもあってこれを製造販売すれば、必然的に服用する多くの国民に重篤な神経障害を生ぜしめることを知りながら、又は重大な過失によってこれを知らずにキノホルム剤の製造承認等の申請を厚生大臣に対してしたものであるから、この被告会社らの申請行為は条理ないし公序良俗に反するものとして違法視されるべきである。そうだとすれば、このような場合には、承認・許可権者である厚生大臣に対する関係でもまた違法性を帯び瑕疵ある申請行為になると解すべきであるから、厚生大臣は、このような重大な瑕疵を無視ないし看過して、申請を承認・許可すべきではないのである。従って、厚生大臣の被告会社らの申請にかかるキノホルム剤についての製造承認等の処分は、国家賠償法上違法となると解すべきである。
第四損害
一 スモン被害の特質
原告らスモンの被害者の受けた損害は、多元的かつ重度の神経障害を中心とする複雑深刻な全身的障害を核とし、更にそのまわりに、数々の精神的被害(身体的破壊に基づく苦痛、種々の日常生活破壊から生ずる苦痛、被告らの犯罪的加害行為によって倍加される苦痛等)、家族的被害(家庭生活破壊)、社会的被害(社会文化生活破壊)などあらゆる人間生活の各部面における被害が幾重にも層をなし、それが複合体となってスモンの被害を形作っているので、まさに「人間らしく生きる権利」の全面的侵害(全人間的破壊)である。多くのスモン患者は、自ら死を決意する程に、肉体的、精神的、経済的及び社会的に追いつめられ、苦しめられ続けてきたのであるが、患者のなかにはこうした苦痛に耐えかねて自殺するのやむなきに至ったものさえ少くない。これに伴ない、患者をとりまく家族の苦痛もまた耐え難い甚大なものであった。
のみならず、スモンは本来国民の健康の確保増進を社会的責務とする被告国と被告会社らによって作りだされたものであり、企業の利潤追求の結果として一方的に惹起された、互換性のないものである。被告会社らは利潤追求に急なあまり、また、被告国は国民に対する責務を没却して、キノホルム剤の製造等の開始継続に際し医薬品の安全性を確保するうえでの初歩的な注意義務すら怠り、スモンを全国的に大量に発生させた加害の責任は、犯罪的ですらある。国民は医薬品がよしんば危険なものであったとしても、その危険を回避する手段を持たないのである。
原告らの受けた損害の計り難い深さは、こうした薬害の実態を踏まえつつ把握されるべきであり、スモン被害の特質もここにあるといってよい。
二 損害額
前項に述べたスモンの各被害はそれぞれ自己完結的な存在ではなく、ある被害が更に他の被害を生み出し、更に被害を増大させていくというように相互に影響しあい、被害を重畳的に拡大化・深刻化させているものであるから、こうした被害実態を正しく把握するためには、どうしても被害全体をまさに「総体として」把握し、いろいろな部面の被害実態をあるがままの「生」の状態で直視認定していくことが必須不可欠なこととなるのである。こうした被害全体を正しく把握し、それに即応した原状回復の原則の具体化を図る観点にたち、その被害回復費用の総体を正しく評価認定し、適切なる金銭賠償を実現するためには、被害を「総体として」把握し、包括的に被害回復費用の請求をする方式が最も実態に適したものなのである。
そこで、第五の一ないし二五で述べる各原告の事情を考慮して三ランクに分けると、各原告が受けた損害額(慰藉料)は、第五の一ないし二五の各6のとおり五〇〇〇万円、四〇〇〇万円、三〇〇〇万円である。
三 弁護士費用
原告らはいずれも被告らの不法行為のため本訴の提起を余儀なくされたが、事案の性質上弁護士に本件訴訟を依頼せざるを得ず、原告訴訟代理人らに委任し、いずれも本件訴訟において勝訴判決が得られたときは認容額の一割を支払う旨約した。そこで、弁護士費用として各原告につき第五の一ないし二五の各6のとおり前記慰藉料額の一割に相当する金員を慰藉料と併せて請求する。
第五各原告の個別的主張《省略》
第六まとめ
よって、原告らはそれぞれ第五記載の被告会社らに対し民法七〇九条に基づき、被告国に対し国家賠償法一条一項に基づき、いずれも第五の一ないし二五の各6記載の合計額及びこれに対するそれぞれ本件各訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第四章被告国の主張(請求の原因に対する答弁)
第一当事者
一 原告らがいずれもスモンの患者である事実は、不知。
二 被告会社らがいずれも医薬品の製造等を業とし原告ら主張のとおりキノホルム剤の製造等をしたものである事実は、認める。
三 被告国が厚生大臣をして医薬品の製造又は輸入について許可又は承認をさせているものである事実及び厚生大臣が原告ら主張のとおり被告会社らが製造又は輸入したキノホルム剤につき許可又承認をした事実は、いずれも認める。
第二因果関係
一 原告らがキノホルム剤を服用したためスモンが発病した事実は、不知。
二 スモンとキノホルムの因果関係については、スモン調査研究協議会(昭和四七年度から特定疾患調査研究スモン班と改称された。)の見解に従う。
第三責任
原告らの責任についての主張は争う。
1 原告らは厚生大臣のキノホルムの局方収載、キノホルム剤の製造又は輸入についての許可又は承認により損害を受けたと主張しているが、違法な行政処分により損害を受けたとする国家賠償請求事件においては、その受けたとする損害が単なる事実上の利益ないし反射的利益の侵害によるものであるならば、このような利益は当該行政処分との関係においては法的に保護された利益とはいえず、当該行政処分の違法を理由として損害の賠償を求めることはできないと解すべきであるから、先ず、原告らが侵害されたと主張する権利ないし利益が厚生大臣がした製造承認等との関係において「法律上の利益」といいうるか否かが検討されなければならない。そして、「法律上の利益」の内容の把握は、当該法律の立法趣旨を踏まえて規定の文言を目的論的に解釈して判断すべきものであるが、薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上及び増進という公衆(国民全体)の利益を保護することにあると解すべきであって、副作用のない医薬品の供給を受け得るという個々人の利益を保護することにあると解することはできない。従って、医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人が厚生大臣の義務違反を理由として国に対し損害賠償を請求することは、「法律上の利益」でなく、単なる事実上の利益ないし反射的利益の侵害に対して国家賠償を請求することであって、法的根拠を欠くものである。
2 医薬品の有用性の判断は、当時の医学薬学等の科学水準のもとにおける事実の認定に限定されるものではなく、右の事実を踏まえた当該医薬品の公衆衛生上の必要をも斟酌してされなければならないものであって、医薬品について承認許可を与えるか否かは、右のような専門的、技術的見地に立った厚生大臣の合理的判断に基づく裁量にゆだねられていると解さなければならないので、講学上の自由裁量行為と解すべきである。そして、自由裁量行為にあっては逸脱又は濫用がない限り違法とすることはできないが、厚生大臣のキノホルム剤の製造承認等は裁量の逸脱や濫用がなく、適正に行われているので、違法ではない。
3 薬事法上の厚生大臣の注意義務を判断するにあたっては、医薬品は有効性と安全性の比較考量の上に成り立っているもので有効性や安全性は相対的なものであり、医薬品の承認許可は個々の患者に投与された場合に常に有用性をもつことを保証しうるものでないので、医薬品の絶対的な安全性を確保する注意義務を要求することはできないこと、薬事法は不良医薬品の取締を主眼とした取締法規であるので、医薬品を取締の対象として製造販売業者の営業の自由を規制するためにはその医薬品により危険な結果が発生するおそれのあることが合理的根拠に基づいてかなりの程度まで客観的に認められる必要があり、厚生大臣のする承認許可につき薬事法違反を理由として国に損害賠償を求める前提となる厚生大臣の注意義務の程度は具体的かつ顕著なものである場合に限られると解すべきこと、厚生大臣が承認許可をした当時の学問レベルに基づいて過失の有無を論ずること、医薬品の有用性の判断は、その時代における医学薬学等の学問水準、疾病の社会に与えている影響、既存の医薬品との相対的比較、医薬品を使用する医師及び一般国民の慣習ないし感情等の諸要因の総合的政策的判断を必要とするので、厚生大臣の裁量的判断であるといってよく、その裁量権限内の行為については本来その責任を問われるべきではないことを考慮しなければならない。従って、本件においては厚生大臣には過失がない。
4 キノホルム剤については、昭和四五年八月椿忠雄らのキノホルム説が発表されるまで有用性を否定する程度の副作用が問題にされることはなく、安全であることが学会の常識であった繁用医薬品であり、原告らが主張する副作用文献及び類似化合物の危険性等の指摘は、いずれもキノホルム剤の有用性を否定したものとはいえないばかりでなく、その多くは入手し得なかったものであるから、厚生大臣には当時キノホルム剤によるスモンの発生を予見することはできなかった。
5 原告らは厚生大臣がキノホルム剤の製造承認等をしたのちについて厚生大臣が販売中止等の措置をとるべきであったと主張し、不作為の責任を問うているが、既に述べたことがあてはまるほか、厚生大臣の行政権限不行使の責任を問うためには右措置をとるよう義務付けた規定が必要であるが、そのような規定は存在せず、仮に厚生大臣にその行政権限を行使する義務があるとしても、特定の個人は厚生大臣に対しその行使を求めることはできないと解せられ、また、厚生大臣が承認許可後において副作用情報に基づき医薬品の製造販売業者に対してとる種々の行政措置(要指示医薬品及び毒劇薬の指定を除く。)は、いわゆる行政指導に該当するもので強制力を有するものではないので、本件において厚生大臣の行政権不行使と原告らの損害との因果関係は否定されるべきである。
第四損害
一 スモン被害の特質は、争う。
二 損害額は、争う。
三 弁護士費用は、争う。
第五各原告の個別的主張《省略》
第五章被告武田の主張(請求の原因に対する答弁)
第一当事者
一 原告らがいずれもスモンの患者である事実は、不知。
二 被告武田が医薬品の製造等を業とし被告チバが製造したキノホルム剤を販売した事実は、認める。
第二因果関係
一 原告らが原告ら主張のとおりキノホルム剤を服用したためスモンが発病した事実は、不知。
二 スモンとキノホルムの間に因果関係が存在する事実は、争う。スモンとキノホルムの因果関係については、次のとおりの疑問が存在するので、肯定することはできない。また、仮にキノホルムがスモンの一因をなすとしても、それは医薬品としてのキノホルム剤本来の性質に基づくものではなく、過剰量投与に基づく害作用による場合か、あるいはこれと更に重要な他の要因との結び付きによる場合としか考えられず、従って、このような場合はもはやスモンとキノホルムの間には相当因果関係があるものではない。
1 諸外国においてもキノホルム剤は古くから広く服用されているのに、スモンが諸外国で発生しないのはなぜか。
2 わが国でキノホルム剤は昭和九年頃から広く服用されてきたのに、スモンが昭和三〇年頃から突然発生し始めたのは、なぜか。
3 わが国でキノホルム剤を服用した者は無数といってよい位多いと思われるが、スモンは限られた人々にしか発症せず、キノホルム剤の服用量とスモンの症状の強弱の間には必らずしも並行関係がないのは、なぜか。
4 スモン患者には性別で女性、年令別で五、六十才台、職業別で事務職員・医療関係者・主婦が多いのは、なぜか。
5 スモン患者には手術を受けた人、やせた人が多いのは、なぜか。
6 スモンが一定地域又は一定病院に集団発生する傾向にあるのは、なぜか。
7 厚生省のキノホルム剤の販売中止等の行政措置以前にスモンの発生は減少の傾向を示し、右行政措置以後においてもスモンの新発生をみたのは、なぜか。
8 キノホルム剤非服用のスモン患者の病因は何か。
9 スモンと類似の症状を示すギラン・バレー症候群、ビタミン欠乏症、多発性神経炎等とスモンの差異は、どこにあるか。
10 スモン協の二回のキノホルム剤服用調査は、スモンは腹部症状から始まるのに、スモンの発病を神経症状の発現としてとらえているし、かつ対象群を設定していないので、スモンとキノホルムの因果関係の根拠とすることはできない。また、その他の調査も、神経症状の発現とキノホルム剤服用とが密接な関係にあるかを論じるもので、あまり意味がない。
11 スモンの神経症状発現後もキノホルム剤の服用を継続した結果症状が軽快した旨の報告が存する。
12 スモン協の動物実験の結果では、スモンとキノホルムの因果関係を断定することはできない。
第三責任
原告らの責任についての主張は争う。医薬品は薬毒不二といわれる両面的性格を本質として内蔵しており、医薬品の安全性とは好ましくない副作用が全くないということではなく、医薬品としての有効性が否定される程度の副作用が認められないという限度で確保されているものであり、この本質的性格は責任論のあらゆる局面に影響を及ぼすものであり、それにふさわしい法律理論の選択が迫られている。キノホルムの化学構造から人体に対する毒性を予見することはできなかったし、原告らが指摘するキノホルムやこれに類似の化合物に関する毒性報告(動物実験)、吸収実験報告、副作用報告等の文献は、その大部分がキノホルムの有効性と安全性を高く評価しているもので、キノホルムの副作用の危険性を報告する極く一部の文献も、化学療法剤たるキノホルムを本来の用法、用量と異なる特殊な用法によった場合に極めて稀に発現する可能性を報告しているもので、結局これら各種文献もキノホルムの危険性を示唆するものではなく、各種文献からもキノホルムの人体に対する毒性を予見することはできなかった。
被告武田が販売したキノホルム剤はすべて被告チバが製剤し、小分けし、能書を封入添付して包装したものであり、被告武田は最終製品として完成されたものを仕入れ販売していたものである。すなわち、被告武田はキノホルム剤の中間流通業者に過ぎないので、製造者と同一の注意義務を負うことはなく、また、販売者の責任が加重されて製造者と同一の責任を問われるような特別な場合があり得るとしても、本件において被告武田はそのような特別の販売者には該当しない。従って、販売者である被告武田は、原告ら主張のような注意義務を負うことはない。
第四損害
一 スモン被害の特質のうちスモンの患者がそれぞれの症状に応じて苦痛を受けていることは認めるが、その余は不知。
二 損害額は、争う。
三 弁護士費用は不知。
第五各原告の個別的主張《省略》
第六章被告チバの主張(請求の原因に対する答弁)
第一当事者
一 原告らがいずれもスモンの患者である事実は、不知。
二 被告チバが原告ら主張のとおりキノホルム剤を製造又は輸入した事実は、認める。
第二因果関係
一 原告らが原告ら主張のとおりキノホルム剤を服用した事実及びスモンが発病した事実は、不知。キノホルム剤を服用したためスモンが発病したとの点は、否認する。
二 スモンとキノホルムの間に因果関係が存在する事実は、否認する。スモンは日本特有の疾患であり、スモン発症へは日本特有の何らかの環境因子が関与している。このような環境因子が何らかの物質であるのか、病源体であるのか、物質であるとすれば単一なのか数個以上の複合なのか、あるいはそれらが相互に関連して生じた代謝栄養障害等が関与しているのかなどは、現在のところ明らかでない。しかし、次のとおりの根拠からキノホルムはスモン発症の原因とはなり得ない。また、仮に日本におけるスモンとキノホルムとの間に何らかの関係があるとしても、右のような日本特有の因子を介してのみ一つの自然的因果の関連に立ち得るに過ぎず、かつ、その介在要因を製造販売者が認識することは不能であるかあるいは認識を期待することが合理的でないので、法律上の因果関係すなわち、相当因果関係はないといわなければならない。
1 キノホルムは腸管から吸収されるが、神経組織に対して特別な親和性を示すことはなく、三、四日でほぼ完全に体外に排泄される。また、連続投与の場合も、速かに定常状態に達し、体内に蓄積貯留されることはなく、投与中止後は一回投与の場合と同じ薬物動態学的パターンをもって体外に排泄される。
2 キノホルムの毒性について行われた動物実験で、スモンに特徴的と言われる末梢神経病変を再現した実験は一例もなく、キノホルムに特異的神経毒性があることを客観的に示したものもない。
3 キノホルム剤非服用のスモン患者が存在する。
4 スモンとキノホルムとの間にはドース・レスポンス・リレイションシップが存在しない。キノホルムの投与継続によってスモンの症状が悪化する例は稀なのに対し、軽快治癒する例が圧倒的に多い。
5 スモンの発生は厚生省のキノホルム剤の販売中止等の行政措置前の昭和四四年後半ないし昭和四五年初め頃から既に著しい減少傾向を示していて、スモンの減少が右行政措置によるものと考えることは、時間的に無理である。
6 キノホルムは日本で戦前から使用されていたにもかかわらず、スモンは昭和三〇年代になって初めて発生した。
7 キノホルムは全世界で汎用されているにもかかわらず、スモンは日本にだけ大量発生した。
8 農薬は特異的神経毒性のあるものが多く、その中毒による臨床像及び病理像がスモンに近似するものがあることなどその毒物学的性質及び薬物動態学的性質からすれば、スモン発症の原因である可能性が極めて大きいし、各種農薬の発売使用から中止に至る出荷数量の年次別推移とスモンの年次別発生消退のパターンとの間の並行関係等を考えれば、農薬についてキノホルム説と少くとも同程度の説得性を持った仮説を設定することも可能である。
第三責任
被告チバの姉妹会社であるスイス・チバ社はキノホルム剤を内服用として製造販売するに先立ち、著名な部外研究機関に組織的科学的調査を委嘱してその有効性と安全性を確認し、また、その製造販売開始後も、各時代時代において可能な最善の方法により、著名な学者や研究機関の協力をも要請して、キノホルムの安全性再確認のため常時各種の生物実験を行なってきたのであって、被告チバに製薬会社としての注意義務違反があったという原告らの主張は全く理由がないといわなければならない。
そして、薬品の使用はその有効性と安全性(ないし副作用)との比較衡量の上に認められるものであるところ、長年にわたる各国の臨床治験例からキノホルムの有効性が高く評価されていたことは明らかであるのに反し、原告らが引用する副作用報告例は孤立化した症例に関するものであるうえ、それらの報告例をもってしても、わが国で発生したスモン又はスモン様症例を予見することは不可能であった。
キノホルム剤は世界の多くの国々の薬局方品目であり、わが国でも昭和一四年以来薬局方に登載され続けてきており、世界の国々で多くの人々により長年月にわたって使用されてきた。しかもその臨床治験実績の故に現在もなお大きな需要を保っている。このように世界の保健当局と医家によって承認され、副作用報告例が少数にとどまるのみならず、周到な安全確認措置がとられてきた薬剤について製造販売者の法的責任が問われるならば、他の如何なる製薬会社が免責され得ようか。わが国の法制の下で製薬会社に責任を負わせるためには、その時代時代において最善と認められる方法によって安全性の確認を行うことを怠ったために問題とされている疾患を予見できなかったという事情が存しなければならない。しかるに本件において、被告チバにそのような事情が認められないことは明らかであるから、原告らが被告チバに責任ありとする主張はすべて失当である。
第四損害
一 スモン被害の特質のうち、一般的にスモン患者が肉体的、精神的、経済的及び社会的に苦痛を受けていることは認めるが、原告らの個々の状況は不知。被告チバがキノホルム剤の製造等に対し安全性を確保するうえでの注意義務を怠ったこと及びこれによりスモンを発生させたことは、いずれも争う。
二 損害額は、争う。
三 弁護士費用は、不知。
第五各原告の個別的主張《省略》
第七章被告田辺の主張(請求の原因に対する答弁)
第一当事者
一 原告らがいずれもスモンの患者である事実は、不知。
二 被告田辺が医薬品の製造又は販売を業とし原告ら主張のとおりキノホルム剤を製造又は販売した事実は、認める。
第二因果関係
一 原告らが原告ら主張のとおりキノホルム剤を服用した事実は、不知。原告らがキノホルム剤を服用したためスモンが発病したとの主張は、争う。
二 スモンとキノホルムの因果関係は争う。スモンは井上ウイルスによる感染症である。井上ウイルスはコッホの三原則を完全に満足し、ヘルペスウイルス群に属する新しい型のウイルスで、鶏伝染性喉頭気管炎(ILT)ウイルスの変異株であろうと推論されている。井上ウイルス説はスモンの発生と終息についても、一九六〇年代から日本全国に蔓延したILTの初流行とウイルス病の流行が止む臨界点まで免疫を獲得したことで説明できる。一方、キノホルム説は次のとおり誤まっている。
1 スモンの腹部症状は必発症状であり、前駆腹部症状を一般腹部症状とキノホルムによって起こる腹部症状に分けられるという説は根拠のない虚構の説である。従って、スモンの病因は腹部症状の発症前に求めるべきである。ところが、スモン協の調査をはじめ多くのキノホルム剤服用調査はスモンの発症を神経症状の発現としてとらえており、キノホルム説の根拠となり得るものではない。また、右キノホルム剤服用調査は、対照群を欠くなど調査の方法を誤まったり、結果の分析を誤まったりして、いずれも不正確であり、キノホルム説の証明には役立たないものである。
2 スモンの発生は、厚生省のキノホルム剤の販売中止等の行政措置とかかわりなく、それ以前から減少傾向にあり、右行政措置後もスモン患者の発生が報告されている。
3 キノホルム説では、スモンが日本においてのみ昭和三〇年以降になって多発したこと、小児のスモンが少ないこと、発症量に大きな差があることが説明できない。
4 キノホルム生産量等とスモン患者発生数との並行関係は、一つの印象にすぎないのであって、統計上の関連性をいうことはできないし、両者に並行関係が認められなかったとの報告もある。
5 キノホルム剤非服用のスモン患者が存在する。
6 キノホルムとスモンとの間のドース・レスポンス・リレイションシップが認められない。
7 スモン協のキノホルム投与動物実験は、いずれもキノホルムの極めて大量長期の投与実験(しかも多くは漸増法による)の結果であって、その結果はヒトのスモンの病因推定の根拠として使用できないものであり、特にイヌにおける実験は、ヒトの投与量に比し、あるいはイヌ自体の急性中毒量との比較においても、極めて大量を投与した結果であって、キノホルムのヒトにおける安全性が問題とされる世界とは関係のない出来事である。しかも、いずれの動物実験もヒトのスモンに一致する特異的な病態を作り得たとはいえないものである。
第三責任
キノホルムは日本薬局方に収載されているが、日本薬局方は薬事法の規定に基づき、医薬品の性状及び品質の適正を図る目的をもって厚生大臣が公示した医薬品の規格書であり、その時々の科学的水準に基づいて有効性と安全性とを比較考量した結果、通常の使用方法において有用と認められた医薬品を収載し、その性状及び品質を定めているものである。これに収載されることによってその医薬品の有効性と安全性は、いわば公認されたものとなる。すなわち、ある医薬品を局方に収載するという国の行為は、局方というものの性質及びそれに対する国民の信頼(それを認容してきた国の態度)からして、国として局方に沿って製造販売する者に対し、局方に沿っている限り、その医薬品の安全性等の調査研究義務を免除又は少なくとも大巾に緩和したものというべきである。国は、製薬業者に対し、そのような保証を与え、医薬品の製造販売を促しているのである。従って、製薬業者たる被告田辺は国の保証に依存してキノホルム剤を製造販売したものであり、被告田辺として責任を負う理由はない。
そして、エマホルムはいわゆる新薬でなく、エマホルム発売当時キノホルム剤は評価の定着した信頼できる医薬品として、世界で繁用されていたのである。その具体的状況において、被告田辺が特に動物実験などを行わずエマホルムを発売したことは、法規制上からも許されたことであり、なんら非難されるべき点はない。本件において原、被告らから提出された諸文献を正しく検討する限り、副作用報告については従来のキノホルム剤に対する評価・信頼性を疑わせるものはなかったのであるから、エマホルム発売時及び発売後において、副作用報告の点からみて、被告田辺がスモンあるいはスモンに連なるような重大な神経障害を予見しなかったことに非難されるべき点はなく、予見可能性はなかったというほかない。
第四損害
一 スモン被害の特質は、不知。
二 損害額は、不知。
三 弁護士費用は、不知。
第五各原告の個別的主張《省略》
第八章証拠《省略》
理由
第一章総論
第一スモン
先ず、スモンとはどういうものであるかについて、スモン発生の経過の概略とスモンの概念を述べる。
一 スモン発生の経過
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 昭和三〇年頃から和歌山県及び三重県において腸疾患加療中に神経炎様症状や下半身麻痺症状等を併発した患者が発生し、その後各地に同様の神経病の患者が発生した。学会にこのような症例が報告されたのは昭和三三年からであったが、以後、年々同様の症例の報告が増えていった。この病気は従来はみられたことがなく、原因が全く不明で、麻痺が下半身からだんだん上半身に昇って失明等を起こし死亡することもある奇病とされたが、昭和三七年頃から飛躍的に多発し、釧路市、山形市、米沢市、徳島市等で集団発生し、釧路では「釧路病」、昭和三九年に集団発生した埼玉県戸田地区では「戸田奇病」と呼ばれ、「大人の小児麻痺」とも言われた。この奇病は当時医学的には「非特異性脳脊髄炎症」、「腹部症状を伴う脳脊髄炎症」と呼ばれることが多かったが、昭和三九年五月第六一回日本内科学会において非特異性脳脊髄炎症シンポジウムが行われ、椿忠雄らが臨床及び神経病理学的見地からsubacute myelo-optico-neuropathy(亜急性脊髄視神経変性症)と命名し、その頭文字をとってスモンSMONと略称したことから、以後だんだん広くスモンの語が用いられるようになった。スモンの患者は、昭和四〇年には室蘭市等、昭和四一年には呉市等で集団発生するなどして、昭和四〇年代に入るとますます増えてほぼ全国に発生し、特に昭和四二年から昭和四四年にかけて岡山県井原市及び湯原町において急増し、原因不明なことや感染の恐れからその地方に社会不安をもたらす程であった。
2 昭和四五年九月厚生省がキノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の販売中止と使用見合せの行政措置をとった後、スモンの発生は激減し、皆無に等しくなった(昭和四八年には一例の届出があるが、以後はスモン患者の届出もなく、新発生はないとされている。)。
3 なお、最近の研究によれば、スモンの患者は昭和二〇年代にも少数ではあるが発生しており、戦前にもまた、スウェーデン、オーストラリア等外国においてもスモンと同様の症例が発生していることが報告されている。
二 スモンの概念
スモンとは、既に述べたように昭和三〇年頃から発生しその後集団発生をまじえて多発した特異な神経疾患に対し椿忠雄らが命名したものであるが、前項に掲げた各書証によると、当初はスモンを独立した疾患でなく、多発性硬化症、デビック病等の他の疾患であるとする考えが強く、昭和三九年五月の第六一回日本内科学会の非特異性脳脊髄炎症シンポジウムでもスモンを独立の疾患と認めるか症候群であるかは意見が分かれたものの、右シンポジウムを契機として臨床及び神経病理学的特徴からスモンを独立の疾患と認める意見が大勢を占めるようになった事実が認められる。
スモンの臨床的特徴は、前記各書証により左のスモンの臨床診断指針のとおりである事実が認められるが、スモンと認めるためには他の類似神経疾患でないことの判断等も必要である場合もあり、スモンがどのような疾患であるかは、第二章の第一の一の「スモンの鑑別」で更に詳しく述べる。
スモンの臨床診断指針
必発症状
1 腹部症状(腹痛、下痢など)
おおむね、神経症状に先立って起こる。
2 神経症状
a 急性または亜急性に発現する。
b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、其他)を伴ない、これをもって初発することが多い。
参考条項(必発症状と併わせて、診断上きわめて大切である)
1 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。
2 運動障害
a 下肢の筋力低下がよくみられる。
b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多い。
3 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。
4 次の諸症状を伴うことがある。
a 両側性視力障害
b 脳症状、精神症状
c 緑色舌苔、緑便
d 膀胱・直腸障害
5 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。
6 血液像、髄液所見に著明な変化がない。
7 小児には稀である。
スモンの病理組織学的特徴は、《証拠省略》により、左のスモンの病理組織学的診断基準のとおりである事実が認められる。
スモンの病理組織学的診断基準
スモンは、脊髄長索路及び末梢神経の変性疾患である。変性はほぼ対称性で、ニューロンの遠位に強い。
Ⅰ 脊髄 (1)病変はゴル束にもっとも強い。(2)錐体路もおかされる。(3)前角細胞のセントラル・クロマトリシスが、腰髄そのほかにみられることがある。
Ⅱ 末梢神経 (1)末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。(2)後根神経の病変は前根神経よりも強い。(3)後根神経節内の神経細胞もおかされることが多い。(4)自律神経にも変性がみられる。
Ⅲ 視神経の変性を伴うことがある。通常は視索と視神経交叉付近がおかされる。
Ⅳ 病変の強い例ではオリーブ核等に変化がみられる。
Ⅴ 大脳、小脳には上記部位にみられるほどの強い変化を認めないのを常とする。
第二キノホルム剤
キノホルム剤はキノホルムを有効成分として含む医薬品であるが、ここでは、キノホルム剤の開発、キノホルム剤のわが国における沿革、キノホルム剤の適応症等について述べる。
一 キノホルム剤の開発
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 キノホルムはキノリン核の八位に水酸基の付いた8ハイドロキシキノリンの誘導体で、五位及び七位の各水素が塩素と沃素に置換されたもの(5クロロ7ヨード8ハイドロキシキノリン)で、C9H5ClINOの分子式で表わされ、下記のとおりの分子構造式を有する物質である。キノホルムは淡黄白色ないし淡黄褐色の粉末で、わずかに特異な臭いがあり、味はなく、水又はアルコールには殆ど溶解しない。
2 キノホルムは一九世紀末スイス・バーゼル化学工業会社(略称チバ社)によって合成され、一九〇〇年(明治三三年)同社からヴィオフォルムの商品名で外用防腐創傷剤として製造販売が始められた。
二 キノホルム剤のわが国における沿革
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 わが国においてはスイス・チバ社からヴィオフォルムが大正二年から輸入販売されるようになり、外用防腐創傷剤として用いられていたが、やがてキノホルムがアメーバ赤痢や腸疾患に効果があることが報告されて、昭和四年頃から右疾患に対し内服処方されるようになった。スイス・チバ社は昭和九年キノホルムの腸内における乳化と分布を容易にする目的でサパミンを添加したヴィオフォルムをエンテロ・ヴィオフォルムの商品名で内服薬として製造販売を始め、わが国へもエンテロ・ヴィオフォルムが輸入販売されるようになった。
2 厚生省東京衛生試験所はキノホルムの国産化の研究をしていたが、製造方法の開発に成功して昭和一三年から製造を開始し、翌一四年から昭和二〇年まで製造販売をした。
3 キノホルムは昭和一一年七月内務省令第一九号により劇薬に指定されたが、昭和一四年八月第五改正日本薬局方に収載され、同年一一月厚生省令第三六号により劇薬から削除された。その後、キノホルムは昭和二六年三月第六改正日本薬局方、昭和三六年四月第七改正日本薬局方にいずれも収載されている。
4 わが国におけるキノホルム剤の販売量は、昭和二〇年代まではキノホルム原末換算で一トンを越えることはなかったが、昭和二〇年代末頃から急激に増加し、昭和三六年頃には二〇トンを越え、その後も増加したまま昭和四五年九月の厚生省のキノホルム剤の販売停止等の行政措置に至っている。
三 キノホルム剤の適応症等
《証拠省略》によると、エマホルム類(事実の第三章の第一の二に掲げたキノホルム剤一覧表の1ないし8記載のキノホルム剤のことである。以下同じ。)はカルボキシメチルセルロース、エンテロ・ヴィオフォルム(同表の9ないし11記載のキノホルム剤のことである。以下同じ。)はサパミン、メキサホルム(同表の12ないし15記載のキノホルム剤のことである。以下同じ。)はエントベックス末をそれぞれ添加したキノホルム剤であって、被告らが製造又は輸入した右各キノホルム剤について許可又は承認を得た際の適応症及び用量並びにキノホルムの含有量は左のキノホルム剤の適応症・用量等一覧表のとおりであることが認められる。
キノホルム剤の適応症・用量等一覧表
第三スモンとキノホルムの因果関係
スモンとキノホルムの因果関係、すなわち、スモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであるとするキノホルム説の当否について判断する。ここでは、スモンの病因研究の歴史の概略を述べ、特にスモン協・スモン班の病因研究の成果をやや詳しく検討し、当裁判所が右研究成果に従う由縁を述べる。
一 スモンの病因研究の歴史
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 昭和三三年スモンの症例が学会に初めて報告され、以後年々同様の症例の報告が増えていって、研究者の注目をひくようになった。当時はスモンを多発性硬化症、デビック病等の他の疾患と考える研究者が多かったが、スモンの多発とともにスモンを独立の疾患としてとらえ、その病因を解明しようとする研究者がだんだん増えていった。昭和三九年五月第六一回日本内科学会においてスモンを主題として非特異性脳脊髄炎症シンポジウムが行われ、全国におけるスモン及びスモン類似の症例の疫学調査の結果が報告されるとともにスモンが独立の疾患として認めうるかが討議された。右シンポジウムではスモンが独立の疾患であるか症候群であるかは意見が分れたものの、既知の疾患とは異なる腹部症状を伴う特異な神経症状と病理所見を呈する疾患単位が存在するとの意見が強く、以後多くの研究者がスモンを独立の疾患としてとらえ、その病因研究にあたった。スモンの病因として考えられたものには、ウイルス・マイコプラズマ・細菌等による感染説、腸内細菌毒素説、脊髄血管障害説、アレルギー説、ビタミン欠乏ないし代謝障害説、農薬・重金属等の中毒説等があり、研究者は区々に分れて病因の究明を図った。特にウイルス感染説はスモンが集団発生したことなどから支持する研究者がかなりあり、一部の研究者からはエコー二一型ウイルス、井上ウイルス等スモン・ウイルス発見の発表もあったが、いずれも学会で是認されなかった。
2 厚生省は昭和三九年度から厚生科学研究費を支出して「腹部症状を伴う脳脊髄炎症の原因と治療の研究」としてスモンの研究を取り上げ、前川孫二郎を班長に研究班を発足させた。右研究班は小規模であったため、主としてウイルス学的研究だけが行われたが、スモンの病因について結論を得ないまま、昭和四一年度で研究費が打切られ、解散した。
3 その後スモンの発生はますます増え、スモンが急増した岡山県井原市及び湯原町では社会不安をもたらす程であったので、厚生省は昭和四四年三月スモンの研究班を再び発足させることとし、甲野礼作を班長にして昭和四四年度の厚生科学特別研究費を支出して「全国のスモン患者の実態ならびに病原に関する特別研究」を開始した。次いで同年八月スモンの研究を拡充するため科学技術庁から特別研究促進調整費が支出されて「スモンの病因と治療に関する特別研究」が追加された。そこで、同年九月右研究班を解消し、両研究費をもって甲野礼作を会長にスモン調査研究協議会が結成された。以後、スモン協は全国からスモンの研究者を結集してスモンの病因研究を推進し、厚生省からはスモン協に対し昭和四五年度及び昭和四六年度も厚生科学研究費が支出された。スモン協の会員の椿忠雄は、スモン患者にかなり多い緑便や緑尿における緑色物質がキノホルムの鉄キレート化合物であるとの報告から、キノホルムがスモンの病因でないかと考え、新潟県内等のスモン患者を調査して大部分がスモンの神経症状発現前にキノホルム剤を服用しているなどのキノホルム説を裏付ける疫学的事実を把握し、このことが昭和四五年八月新聞に報道された。右報道後、厚生省はスモン協等と協議して同年九月八日キノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の販売中止と使用見合せの行政措置をとり、その後スモンの発生は激減した。スモン協は以後キノホルム説の検証を中心に研究を進め、スモンの病因としてキノホルムを指摘した。
4 昭和四七年度から厚生省は特定疾患調査研究班を組織し、スモン協は右研究班の中の特定疾患スモン調査研究班(以下「スモン班」ということがある。)に編入され、甲野礼作を班長に再出発したが、班長は昭和四九年度重松逸造に変った。以後スモン班はスモン協を引継いでスモン研究の中心となり、昭和五〇年度以降もスモン班は延長されて活動している。
二 スモン協・スモン班の病因研究の成果
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 スモン調査研究協議会は、スモンの病因及び治療に関する各種研究を行いスモンの有効な予防法の発見及び治療法の改善を図ることを目的として、昭和四四年九月スモンの研究者四四名を会員として結成された。昭和四四年度は疫学、病原、病理、臨床の四班に分れてスモンの研究を開始し、病原ウイルスの分離検出、血清抗体の調査、昭和四二、四三年度発生の全国のスモン患者の調査等の研究を行なった。
2 スモン協は昭和四五年度も同じ班組織で活動したが、会員は更にスモンの研究者を集めて六四名に増加した。スモン協は、同年八月椿忠雄によりキノホルム説が提唱されたことから、同年九月には厚生省にキノホルム剤の販売中止等の行政措置を勧告するとともに、スモン患者のキノホルム剤服用調査、キノホルムの毒性に関する動物実験等キノホルム説の検証に大部分の研究を集中した。スモン患者のキノホルム剤服用調査の第一回は臨床班員一八名の自験例を対象として行なわれ、同年一一月の発表ではスモンの神経症状発現前六ヵ月内にキノホルム剤を服用したものが、「不明」及び「ないらしいが不確実」を除くと、八四・七パーセントであった。
3 スモン協は、昭和四六年度は更に会員が増えて七三名になり、プロジェクト中心の組織に変更して、疫学、保健社会学、微生物、キノホルム、病理、治療予後の六部会に分れたが、病因研究については前年度と同じくキノホルム説の検証に大部分の研究を集中した。スモン患者のキノホルム剤服用調査の第二回は全国の医療機関に受診したスモン患者を対象として行なわれ昭和四七年二月の発表ではスモンの神経症状発現前六ヵ月にキノホルム剤を服用したものが、「不明」及び「ないらしいが不確実」を除くと、八三・四パーセント、神経症状発現前に同一医療機関が初診している場合に限ると九〇・二パーセントであった。
4 スモン協は昭和四七年三月総会を開き、各部会の研究成果の報告及び甲野礼作会長による研究総括が行なわれた。スモンの病因に関するものは、次のとおりである。
(一) 疫学部会は「昭和四五年九月八日に行なわれたキノホルム含有製剤の販売中止及び使用見合せの行政措置は、疫学的にいって全国的規模で行なわれた一種のプロスペクティブ・スタディであるが、その結果スモン患者の発生は急減した。このことはキノホルム剤がスモンの発生と直接あるいは間接に関係のあることを意味しているが、スモンの発症とキノホルム投与量の間にドース・レスポンス・リレイションシップが成立することも全国調査及び各個研究のいくつかで認められており、両者の因果関係を示唆しているといってよい。」と報告し、今後の問題点としてキノホルム非服用スモン患者の検討とドース・レスポンスの詳細な分析等を挙げた。
(二) 微生物部会はウイルスについて「これまで調べられた限りにおいては、エコー二一型ウイルスを含めて既知のウイルスがスモンの症状発現に重要な役割を果していることを示唆するものはないと考えられる。井上らにより分離されたと主張されているウイルスについては追試が未だ進行中である。」と報告し、細菌及びマイコプラズマについて「スモンの第一次的病因として細菌やマイコプラズマが関与しているとは考えがたく、現時点では、細菌学的知見の多くがキノホルム病因説によって矛盾なく解釈されうるという結論に達するにいたっている。」と報告した。
(三) キノホルム部会は、キノホルムを経口投与することによって実験動物にヒトのスモンに近い症状と病変を起させることを試み、イヌ及びネコにおいて目標をほぼ達成し、ビーグル犬でも投与量をふやすことによって神経症状が発現したこと、標識キノホルムによる研究によりキノホルムが腸管からかなりよく吸収され坐骨神経等の末梢神経、後根神経節、脊髄神経根、網膜等スモンの病変部位に一致した部分に強い分布がみられることが確認されたことなどを報告した。
(四) 病理部会は「スモンの神経系病変の発生に対して、キノホルムがその病因として極めて重要な役割を担っていることは、まず疑ないどいってよい。」と報告した。
(五) 甲野礼作会長は、研究総括で「疫学的事実並びに実験的根拠から、スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。」と報告し、キノホルム剤非服用スモン患者の問題などが残されていると述べた。
5 特定疾患スモン調査研究班は昭和四七年度は五〇名で構成され、スモン協と同じ部会組織でスモン協の研究を引継いだが、研究の重点を病因の解明からスモンの治療、発症機序等に移していった。甲野礼作班長は昭和四八年三月総括報告で「新発生患者の届出は昭和四七年は六月大阪府よりの一名に止った。このことはキノホルム発売停止措置がいかに有効であったか、換言すれば、スモンの病因はキノホルムをおいては考え得ないことを示すデータであり、キノホルム病因説は確定されたとみてよいと思われる。」「いわゆる井上ウイルスの追試はほぼ終了し、これ以上実験の数を増加しても意味がないと判断されたので、新しい事実が出てくるまで、凍結するという措置をとった。キノホルム説とのバランスにおいてはウイルス説は、もはや殆ど問題にならないと結論されるに至ったのである。」「キノホルム投与による動物実験はイヌ、ネコで最も成功したが、大量長期投与によってサルにもヒトにみられる如き脊髄後索の変性を起し得た。」と報告し、スモン班の研究はスモン協によって明らかにされたキノホルム原因説を拡充発展する方向に進んだと結論を述べた。
6 スモン班は、四八年度は五一名で構成され、リハビリテーションを重点に再編成されて、疫学・保健社会学、発症機序、治療、リハビリテーションの四分科会に分れた。甲野礼作班長は昭和四九年三月総括報告で「昭和四五年九月八日キノホルム発売停止措置以後のスモン患者の激減はその後も引続き、届出でみる限り、昭和四七年スモン確実二、疑一の三名、昭和四八年の届出は一であった。かくの如くキノホルム販売停止措置によって、スモンの発症が殆ど皆無になったことは年を重ねるに従いますます明瞭となっている。」「キノホルム投与による神経病変の再現はイヌ、ネコ、サルなどについて行なわれた。」「その後の疫学的事実及び研究成績から昭和四七年三月一三日スモン調査協議会の総会において『スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起したものと判断される』とした総括に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説はより一層強固なものとなった。」と報告した。
7 スモン班は、昭和四九年度は三一名で構成され、リハビリテーション、治療、発生病理、疫学・保健社会学の四分科会に分れた。重松逸造班長は昭和五〇年三月総括研究報告で「一群三匹のビーグル犬を用いて行なわれたキノホルムによる発症実験において、漸増投与に限らず一日一回三〇〇mg/kgの固定量カプセル投与によっても全例が発症した。」「神経症状発現のためにはキノホルムの過量継続投与が必要条件であることが明らかになった。また、発症機序としてはキノホルムが金属イオンを伴って神経細胞に入り、過酸化脂質を生成させ、蛋白変性を介してミトコンドリアを空胞変性させると考えられるようになった。」「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究(動物実験、新発生患者サーベイランスなど)で、決定的となったといってよい。」と報告した。
8 スモン班は、昭和五〇年度以降もスモンの病因に関して補足的な研究を行なっているが、総括研究報告ではスモンとキノホルムの因果関係については直接は触れていない。ただ昭和五〇年度には昭和四七年度から昭和五〇年度のスモン班の研究成果の総括が行なわれ、重松逸造班長は「本研究班では、各種動物(イヌ、ネコ、サル)に対して、漸増法によるキノホルム投与実験でスモン病変の再現に成功するとともに(昭和四七、四八年度)、キノホルム固定量投与の動物実験(ビーグル犬)でも同様の結果を得た(昭和四九年度)。また、キノホルム剤販売停止措置(昭和四五年九月八日)以後におけるスモン患者の新発生が皆無に等しくなっていることから、昭和四九年度には、『昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究で決定的となったといってよい。』と述べた。」と報告した。
以上スモン協・スモン班の病因研究の成果について総括報告を中心にみてきたが、要約すると、スモン協は昭和四七年三月「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。」との結論を出し、スモン協の研究を引継いだスモン班は昭和五〇年三月「スモンとキノホルムの因果関係は決定的となったといってよい。」との結論を出したということになる。すなわち、スモン協・スモン班は病因研究の成果として昭和五〇年三月最終的にスモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであるとのキノホルム説を確定したことが認められる。
なお、スモン協が「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。」と結論を出したことについて、スモン班の総括報告では昭和四八年度は「(右結論)に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説は一層強固なものになった。」と述べ、昭和四九年度は「昭和四六年度に報告されたスモンとキノホルムの因果関係については、昭和四九年度の研究で、決定的となったといってよい。」と述べているので、スモン班の結論についてスモン患者全部でなくスモン患者の大多数についてのみキノホルム説を確定したものであるとの解釈がある。しかし、スモン協が「スモンと診断された患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される。」との結論を出したのは、前記各書証によると、当時のキノホルム剤服用調査では約一五パーセントのキノホルム剤非服用のスモン患者が存在し、井上ウイルスについての追試が進行中で未だ結論が出ていなかったことから、キノホルムが病因でないスモンが存在する余地があると考えたためであることが認められる。そして、前記各書証によると、スモン班が研究を引継いでから、キノホルム剤の販売停止等の行政措置以後におけるスモン患者の新発生が皆無に等しいこと、動物実験においてキノホルム投与によるスモン病変の再現に成功したこと、井上ウイルスの追試によりウイルス説がとれないとの結論が出たこと、キノホルム剤についての疫学調査と詳細な分析が更にされたこと、キノホルム剤とスモンのドース・レスポンス・リレイションシップにつき更に詳細な研究がされたこと、スモンの発症機序がいくらか解明されたことなどの根拠からキノホルムが病因でないスモンは存在しないと判断し、昭和五〇年度以降はキノホルム説のための補足的な研究以外スモンの病因に関する研究は行なっていない(もちろんスモンの発症機序に関する研究は行なっている。)ことが認められる。従って、スモン班の結論はスモン患者の大多数についてのみキノホルム説を確定したものであるとの解釈は誤まっているというべきである。
三 当裁判所の判断
1 先ず、因果関係に対する被告らの自認の問題について述べる。
原告らは、被告会社らが東京地方裁判所において和解を申出る前提としてスモンとキノホルムの因果関係を自認したから因果関係は争いのない事実であると主張している。しかし、本件の口頭弁論において被告会社らが右因果関係を争っていることは、既に事実の第五章ないし第七章の各第二に記載したとおりであって、被告会社らに関して右因果関係が争いのない事実になることはない。
また、被告国が「スモンとキノホルムの因果関係についてはスモン協(昭和四七年度からスモン班と改称された。)の見解に従う。」と答弁していることは、原告ら指摘のとおりであり、原告らは被告国に関しても因果関係は争いのない事実であると主張している。当裁判所は既に述べたようにスモン班の結論はキノホルム説を確定したと理解しているが、被告国は弁論の態度からみてスモン班の結論につき当裁判所と同一の理解のもとに因果関係について右のような答弁をしたとは解せられず、被告国の前記答弁はスモンとキノホルム因果関係を争う趣旨と解するので、被告国に関しても右因果関係が争いのない事実になることはない。
そこで、被告ら全員について、スモンとキノホルムの因果関係を判断する。
2 前項(二の「スモン協・スモン班の研究成果」)に掲げた各書証によると、スモン調査研究協議会はスモン研究のための大型プロジェクト組織であって、会員は当時スモンの病因解明に役立ち得ると考えられたウイルス学、細菌学、疫学、神経病理等の病理学、臨床神経学、薬理学、毒物学、スモンの臨床等広範囲の分野の最高クラスの研究者を集めて構成され、しかも会員は固定されず研究の進展に伴い新しい研究者を会員として補充しており、当時全国でスモンを研究していた研究者の大部分は、スモン協の会員になるか、あるいは会員の研究に協力するなどしてスモン協と関係していた事実、スモン協は研究のための予算もかなり用意され(昭和四四年度三五〇〇万円、昭和四五、四六年度各五〇〇〇万円)、班又は部会毎に常時研究成果を報告しあって討議するとともに、幹事会、総会等を開いて研究成果の総括と以後の研究方針を計議するなど甲野礼作会長の主導のもとに集中的にスモンの病因研究を推進した事実、特定疾患スモン調査研究班に移行してからは、研究の重点をスモンの治療、発症機序、リハビリテーションに移していったものの、スモン研究の大型プロジェクト組織としての性格はスモン協と変らなかった事実が認められる。右各事実から考察すると、スモン協・スモン班の病因研究の成果は科学として最高の水準にあるものであり、そこで確定された結論は科学的合理性を有するものであると解することができる。もちろん右結論に疑問を抱かせるような特別の事情、例えばスモン協・スモン班に合理的な研究を妨げる組織的欠陥があるとか、スモン協・スモン班に匹敵する研究組織があってそこで異なる結論を出したとか、スモン協・スモン班の研究成果と矛盾する重要な研究結果があるのにスモン協・スモン班で検討しなかったなどの事情があれば、右のように解することができないのは当然であるが、そのような特別の事情を認めるべき証拠はない。そこで、当裁判所はスモンとキノホルムの因果関係については、スモン協・スモン班の病因研究の成果として確定された結論をそのまま採用することが相当であると思料する。すなわち、スモン協・スモン班が研究成果としてスモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであるとのキノホルム説を確定したことは、前項に認定したとおりであるので、スモンとキノホルムの因果関係についての諸々の科学論争については判断を示す必要はなく、当裁判所はスモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであると認定する。
3 被告田辺は井上ウイルス説を強く主張している。しかし、既に認定したとおりスモン班は昭和四八年三月総括報告で「いわゆる井上ウイルスの追試はほぼ終了し、これ以上実験の数を増加しても意味がないと判断されたので、新しい事実が出てくるまで、凍結するという措置をとった。キノホルム説とのバランスにおいてはウイルス説は、もはや殆ど問題にならないと結論されるに至ったのである。」と報告しており、前項記載の各書証によると、スモン班は昭和四七年度に微生物部会の班員が井上ウイルスについて追試をしたがいずれもスモンの病原性について陽性の結果が出なかったため、井上ウイルス説についての研究を凍結するという措置をとり、その後に右凍結を解除すべき新しい研究結果は現われていない事実が認められる。なお、当裁判所に被告田辺から提出された証拠中には右凍結措置以後の井上ウイルスに関する研究結果が含まれているが、いずれも井上ウイルスの主唱者である井上幸重と同人に関係ある研究グループ及び被告田辺によるものであって、右凍結を解除すべき新しい研究結果として認められないものである。従って、スモン班は研究成果として井上ウイルス説を認めておらず、当裁判所も、スモン班の右研究成果に従い、井上ウイルス説を採用しない。
第四被告会社らの責任
被告会社らが原告ら主張のとおりキノホルム剤を製造、輸入又は販売した事実は、当事者間に争いがなく、後に認定するとおり原告ら(原告中里直治を除く。第四において以下同じ。)はそれぞれ被告会社らが製造等をしたキノホルム剤を服用したためスモンが発病したものである。そこで、原告らのスモンによる損害に対する被告会社らの不法行為責任について判断する。ここでは、医薬品の製造者及び販売者の各注意義務、予見可能性、不法行為責任の成立の順序で述べて、被告会社らに不法行為責任があることを明らかにする。なお、原告らは被告会社らの責任につき種々の法律構成を主張しているが、以下のとおり被告会社らの責任が認められるので、原告らのその余の主張については判断しない。
一 医薬品の製造者の注意義務
既に認定したとおり被告チバ及び同田辺はキノホルム剤を製造したので、医薬品を販売のため製造する者が負うべき注意義務について述べる。なお、被告チバはキノホルム剤の輸入もしているが、輸入したキノホルム剤についてすべて製造(この場合の製造は、《証拠省略》によると、輸入したキノホルム剤原末を打錠、小分けし、包装などをして商品として完成することであると認められる。)をしているので、被告チバについても製造者としてのみ論ずれば足りる。
医薬品は病気の診断、治療又は予防の目的で使用される物質であるが、物質の生体に対する作用は多面的かつ複雑であるので、使用目的にかなう作用(有効性)とともに人体に対する害作用(副作用)をも本質的に伴うものである。従って、適正な医薬品であるためには、予定された適応症の患者に対して定められた用法、用量で使用した場合の治療上の効果が副作用による危険性を考慮しても有益であること(有用性)が必要であり、有効性が副作用を上回るという意味で安全性があることが必要である(適正な医薬品について有用性があるとは有効性の側からみた表現であり、安全性があるとは副作用の側からみた表現であって、有用性があることと安全性があることは原則的には一致する。)。そして、現代社会においては医薬品は商品として大量に流通過程に置かれており、消費する国民にとっては病気になれば医薬品は不可欠であるにもかかわらずその安全性を確認する手段を持たないばかりでなく、投与する医師や小売する薬局等も医薬品の安全性を確認しないのが実情であるので、ひとたび安全性を欠いた医薬品が流通過程に出現すると、直ちに国民の健康が損われ、その被害は社会的に広範かつ深刻になることが予想される。このような医薬品の特徴を考え、健康が何物にも代え難い価値であることに思いを致すと、医薬品を販売のため製造する者は、医薬品の製造にあたって、科学として最高の水準で調査研究をして安全性を確保する注意義務を負っていると解すべきである。
医薬品の製造者が負っている製造にあたっての注意義務の内容を具体的に述べれば、次のとおりである。
(一) (結果予見義務) 医薬品を製造しようとする者は、当該医薬品の製造を開始するに先立ち、当該医薬品及びその類縁化合物について安全性に関する医学、薬学その他関連諸科学の分野における文献、報告その他の情報を収集検討し、技術的に可能な限りの動物実験及び臨床試験を行い、更に同種の医薬品が既に使用されている場合はその追跡調査をするなど、その当時における科学として最高の水準で調査研究をして危険な副作用の予見に努めなければならない。そして、医薬品の製造者は、当該医薬品の製造を開始したのちも、情報の収集検討を続けるとともに、臨床使用に関する追跡調査をするなど、同様の調査研究をして危険な副作用の予見に努めなければならない。
(二) (結果回避義務) 医薬品を製造しようとする者が当該医薬品の製造を開始するに先立ち前記調査研究の結果当該医薬品について危険な副作用の存在を予見(危険な副作用の存在について合理的な疑いを持つ場合を含む。)したときは、当該医薬品の製造販売を開始しないか、あるいは有用性がある範囲に限定して当該医薬品の製造販売をするのであれば、適応症、用法、用量を有用性がある範囲に限定し危険な副作用について警告するなど当該医薬品が安全に使用されることを確保する適切な措置をとらなければならない。また、医薬品の製造者が当該医薬品の製造販売を開始したのちに前記調査研究の結果当該医薬品について危険な副作用の存在を予見したときは、直ちに当該医薬品の使用中止を医療関係者等に伝え流通過程から回収するなど当該医薬品の使用中止のための適切な措置をとるか、あるいは有用性がある範囲に限定して当該医薬品の使用を続行するのであれば、適応症、用法、用量を有用性がある範囲に限定する旨を危険な副作用についての警告とともに医療関係者等に伝えるなど当該医薬品が安全に使用されることを確保する適切な措置をとらなければならない。
すなわち、被告チバはエンテロ・ヴィオフォルム及びメキサホルムにつき、被告田辺はエマホルム類につき、いずれもその製造を開始するに先立ち、また、製造を開始したのちも、前記安全性を確保する注意義務を負っているものである。
なお、被告田辺は、キノホルムは日本薬局方に収載されており、国は局方収載によって当該医薬品の安全性に保証を与えているので、その保証に依存して当該医薬品を製造した者は安全性等の調査研究義務を免除又は大巾に緩和されている旨主張している。キノホルムが第六改正及び第七改正日本薬局方に収載されていることは、既に認定したところであるが、医薬品を公定書に収載することは、医薬品の性状及び品質の適正を図るためであるから、後に述べるように医薬品の製造者に対する規制の方法ではあっても、製造者の注意義務ないし責任を減免する趣旨を含むと解する余地はなく、また、公定書の収載に際して厚生大臣が当該医薬品の安全性について検討したとしても、そのことによって公定書に収載された医薬品の安全性が保証されたことになるものでもないので、右主張は失当である。
二 医薬品の販売者の注意義務
既に認定したとおり被告武田はキノホルム剤を販売したので、被告武田がキノホルム剤の販売にあたって負うべき注意義務について述べる。なお、ここで述べる医薬品の販売者の注意義務は、被告武田に特有のものであって、一般的に医薬品の販売者のそれを論ずるものではない。
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 被告武田は昭和二八年三月被告チバ(当時チバ製品株式会社)との間で一手配給契約を締結し、同契約は昭和三三年三月若干の修正がされたが、本質的な内容の変更は殆どなかった。右契約の主な内容は、被告武田は被告チバの医薬品の一手配給人となり、同医薬品の日本における最大の配給を確保すべく力量の範囲でできる限りのことを行うものとすること、被告チバは、医師及び薬剤師向けのすべての資料・文献を作成・配布し、自己の費用と責任においてすべての販売及び販売促進業務を実施すること、被告チバは被告武田と協議のうえ被告武田の販売する被告チバの製品の価格及び割引額を定めること、被告武田は原則として販売された全製品の正味卸向価格から顧客への五パーセントの割戻しを差引いた額につき一七・五パーセントの配給人としての手数料を受取ること、被告武田は被告チバの医薬品の在庫につき保管の責に任ずること、被告武田は被告チバの製品の売上げを促進する事項に関する情報を被告チバに提供するものとすることなどであった。
2 昭和二八年から昭和三六年までは、被告チバが加工(打錠・小分け)のための工場設備を有していなかったため、被告武田が自ら製造許可を受けてスイス・チバ社から輸入されたキノホルム剤原末を受託加工したうえで、それを前記契約に基づき一手に販売していたが、その後は、被告武田は前記契約に基づき被告チバが製造したエンテロ・ヴィオフォルム及びメキサホルムを一手に販売した。
3 被告武田が販売したエンテロ・ヴイオフォルム及びメキサホルムには「製造 日本チバガイギー株式会社、販売 武田薬品工業株式会社」との表示がなされていた。
以上認定した事実によれば、被告武田は、被告チバと緊密な提携のもとに、いわば両者一体となって販売促進活動をするなどして被告チバが製造したキノホルム剤を一手配給人として販売していたものであり、医薬品を商品として大量に流通過程に置く源泉であるということにおいて、被告武田の立場は医薬品の製造者と何ら異なるところはない。従って、被告武田は、右キノホルム剤の販売にあたって、医薬品の製造者の注意義務と同一の科学として最高の水準で調査研究をして安全性を確保する注意義務を負っていると解すべきである。この注意義務の具体的内容も既に述べた医薬品の製造者のそれと同一である。
三 予見可能性
以上述べたとおり被告会社らは医薬品の安全性を確保する注意義務を負っているが、被告会社らに原告らのスモンによる損害に対する責任を問うには、結果予見義務の前提として、被告会社らが結果を予見することが可能であったことが認められなければならない。すなわち、被告会社らがキノホルム剤の製造又は販売にあたって危険な副作用の存在を予見すること(少くとも危険な副作用の存在について合理的な疑いを持つこと)が可能であったことが必要である。そして、本件はスモンによる損害の賠償請求であるから、予見の対象となる危険な副作用とは、キノホルム剤によりスモンが発生すること又は少くともキノホルム剤により神経障害(神経障害はスモンの最大の特徴であり、いわばスモンを抽象化した概念である。)が発現することであると解すべきである。
そこで、被告会社らがキノホルム剤の製造又は販売にあたってキノホルム剤により神経障害が発現することについて合理的な疑いを持つことが可能であったかどうかを検討するが、本件において最も早くにキノホルム剤を服用してスモンが発病したのは、原告町田房子であって、後に認定するように同原告は昭和三五年六月から服用して同年九月発病したので、昭和三五年初め頃において予見が可能であることが認められれば原告ら全員について予見が可能であったことになる。従って、昭和三五年初め頃を基準としてキノホルム剤により神経障害が発現することに合理的な疑いを持つことが可能であったかどうかを検討することとし、右基準時までの予見可能性に関する主な情報を次に列記する。
1 キノホルムによるヒトの神経障害に関する情報
(一) テルング、スイス医師通信誌三八巻一五号「八才の少女の卵巣のう胞、子宮の茎捻・軸捻、ヴィオフォルム中毒」(明治四一年) 《証拠省略》によると、テルングは、八才の少女の卵巣腫瘍の手術の際二・五パーセントのヴィオフォルム・ガーゼを骨盤腔内に挿入したところ、翌々日からひどく興奮し気嫌が悪く、見当識を喪失し、医師を見ても医師であることがわからなくなったが、ヴィオフォルム・ガーゼを撤去するとやがて右症状がなくなったとの症例を報告し、ヴィオフォルム中毒と指摘した事実が認められる。
(二) グラヴィッツ、ラ・セマーナ・メディカ誌四二巻七号「アメーバ症の治療における新しいオリエンテーション」(昭和一〇年) 《証拠省略》によると、グラヴィッツは、ヴィオフォルムによるアメーバ症の治療を試みた結果、〇・五グラムのヴィオフォルムを一日三回で三〇日間投与する方法が最も優れた治療法であると述べ、右方法によった一五三例中に一例だけ横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状及び精神聾の発現を観察したが、孤立例で患者の薬物不耐容性に帰することができるものではないと報告した事実が認められる。
(三) バロス、ラ・セマーナ・メディカ誌四二巻一二号「増えてゆくアメーバ」(昭和一〇年) 《証拠省略》によると、バロスは、右(二)の報告を批判して、グラヴィッツの方法による一五三例中にヴィオフォルムの投与量に関連して重大な神経性病変の生じた症例があったとして、二つの症例を報告しており、第一は、三一才の婦人でヴィオフォルム〇・五グラムずつを一日三回オブラート包で投与したところ、三日後に胃痛、嘔吐、頭痛、少しのちに足のしびれ感が出現し、以後ヴィオフォルム投与の中断再開を繰返し、中断しても異常知覚が残り再開によって下肢の知覚障害及び運動障害が増悪し、足をひきずり壁を伝い歩きするに至ったが、ヴィオフォルム三〇日分の投与終了後下肢の弛緩は消失し、けいれん性の歩行ができる程度に回復したものの、治癒という点では悲観的で、脊髄炎と診断したものであり、第二は、四五才の男性で同様にヴィオフォルムを投与したところ、不全対麻痺及び糖尿を伴う類似の知覚異常が発現したものである事実が認められる。
2 キノホルムによるヒトの神経障害以外の副作用に関する情報
(一) アンダーソン及びリード、アメリカ熱帯医学雑誌一四巻「抗アメーバ剤の副作用」(昭和九年) 《証拠省略》によると、アンダーソン及びリードは、ヴィオフォルムを経口投与した六〇例中三例に副作用が発現したが、一例は心悸亢進、呼吸困難、頭重感及び頭痛が起こり、他の二例では悪心と嘔吐が起こったと報告した事実が認められる。
(二) デイヴィッド、アメリカ医師会雑誌一二九巻「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」(昭和二〇年) 《証拠省略》によると、デイヴィッドは、キニオフォン、ヴィオフォルム、ジョードキン等の殺アメーバ剤はもともと毒性があり予期せぬ副作用を生ぜしめることがあるとして、「(1)治療は一〇日ないし一四日の短期間に制限すべきである。(2)別の治療コースを始めるときは、二、三週間の休薬期間を置き、糞便がアメーバ陽性であることを確認しておかねばならない。(3)ヨウ素含有化合物のヴィオフォルム等は、肝障害又はその疑いのある患者や薬物過敏性を有することがわかっている患者には禁忌である。(4)これらの薬剤のいずれをも、非アメーバ性下痢の治療に対し経験的に使用すべきでない。」と警告した事実が認められる。
(三) ヴァキル、インド医学雑誌八〇巻「エンテロ・ヴィオフォルム錠の耐容性」(昭和二〇年) 《証拠省略》によると、ヴァキルは、三五才の男性がエンテロ・ヴィオフォルム錠を一日六錠で一一ヵ月間服用したところ、一〇ヵ月後に心悸亢進、動作時の呼吸困難、過度の疲労、倦怠感、抑うつ症及び前頭部の頭痛を訴えたが、三週間の治療で右症状が消失したという症例を報告した事実が認められる。
3 キノホルム(剤)による動物の神経障害に関する情報
(一) ホーグ、アメリカ熱帯医学雑誌一四巻「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」(昭和九年) 《証拠省略》によると、ホーグは、鶏胚から得た腸の培養組織に対するヴィオフォルムの作用を実験し、一〇〇〇分の一の希釈液を半時間作用させたところ翌日神経と大部分の線維芽細胞が死滅し、五万分の一の希釈液中で翌日殆どすべての遊離線維芽細胞及び神経が死滅したと報告した事実が認められる。
(二) アレマン及びマイエル、「サパミン及びヴィオフォルムの合剤(エンテロ・ヴィオフォルム)に関する研究」(昭和一四年) 《証拠省略》によると、アレマンらは、スイス・チバ社のため動物実験をした結果、エンテロ・ヴィオフォルムを服用させたネコ数匹にけいれん、振せん、よろめき歩行、呼吸促進等の症状が発現したと報告した事実が認められる。
4 キノホルムの類縁化合物によるヒト又は動物の副作用に関する情報
(一) アンダーソン、デイヴィッド及びコッホ、実験生物学会会誌二八巻「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」(昭和六年) 《証拠省略》によると、アンダーソンらは、キノホルムを含む六種のオキシキノリン類についてモルモット、ウサギ及びネコに経口投与したときの毒性を実験した結果、毒性はオキシキノリンのハロゲン化につれて、また、そのハロゲンの原子量に比例して増大するとの結論を報告した事実が認められる。
(二) ワイズローグ、抗マラリヤ薬の概要一巻「8アミノキノリン類の薬理について」昭和二一年) 《証拠省略》によると、ワイズローグの編集によるものであるが、二三種の8アミノキノリン類によるイヌでの反応には、目の瞬膜の麻痺と外斜視、瞳孔反射の損傷、結膜炎、流涎症、呼吸障害、四肢での血行不良等があり、8アミノキノリンの誘導体であるプラズモシドによるサルでの反応には、感覚過敏症、眼振症、瞳孔反射の消失、視力低下、歩行困難症、共同運動障害、四肢のけいれん性麻痺等の神経学的徴候があるとの記述がある事実が認められる。
(三) ホッブス、ソースビー及びフリードマン、ランセット誌七一〇一号「クロロキン療法による網膜症」(昭和三四年) 《証拠省略》によると、ホッブスらは、4アミノキノリンの誘導体であるクロロキンを投与した患者に血管狭小化、視野欠損等の不可逆的な視力障害が発現した症例を三例報告した事実が認められる。
5 キノホルムのヒトの生体内への吸収に関する情報
(一) デイヴィッド、ジョンストン、リード及びリーク、アメリカ医師会雑誌一〇〇巻「ヨードクロールハイドロキシキノリン(ヴィオフォルムN・N・R)によるアメーバ症の治療」(昭和八年) 《証拠省略》によると、デイヴィッドらは、ヴィオフォルムが胃腸管からいくらか吸収され、一部尿中に排泄されると報告した事実が認められる。
(二) デイヴィッド、ファタック及びツェナー、ザ・ジャーナル・オブ・ザ・ファーマコロジー・アンド・エクスペリメンタル・セラピュウティクス七二巻「ヴィオフォルムN・N・Rとジョードキン(動物での毒性と人間での沃素吸収)」(昭和一六年)
《証拠省略》によると、デイヴィッドらは、九人の被験者に〇・二五グラムのヴィオフォルムカプセルを一日三回で一〇日間投与したところ血中ヨード量は一四五ないし三二七ワイ・パーセントに増加したと報告した事実が認められる。
以上の情報のうち、1の(二)及び(三)の各情報(以下「グラヴィッツとバロスの報告」という。)は、キノホルムの副作用として重篤かつ不可逆的な神経障害がある頻度で発現する疑いを濃厚に示す情報であり、それ以外の前記各情報は、グラヴィッツとバロスの報告が示す疑いについて、その確実性を補強するものである。そこで、グラヴィッツとバロスの報告にその他の前記各情報(但し、その他の前記各情報はすべてを網羅する必要はなく、その二、三を欠いても以下の判断に影響するものではない。)を総合して検討すれば、キノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的な疑いを持つことができたと解する。なお、医薬品について本件のように副作用が発現することについて持たれた合理的な疑いは、動物実験や臨床試験など確実な根拠によって当該副作用が存在しないことが確認されない限り、解消されるものではないので、弁論の全趣旨によりキノホルム(剤)の有用性や安全性を示す多数の情報が存する事実が認められるが、右事実のみでは前記合理的な疑いが解消したということはできない。
そして、以上の情報は、3の(二)を除きすべて公刊されたものであって、弁論の全趣旨によりわが国で入手可能であったことが認められるので、被告会社らは昭和三五年初め頃までに知り又は知ることができたものである。従って、被告会社らは昭和三五年初め頃までにキノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的に疑いを持っていたか、又は合理的な疑いを持つことが可能であったといわなければならない。
四 不法行為責任の成立
被告会社らが昭和三五年初め頃までにキノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的な疑いを持った場合、被告会社らが製造等をしているキノホルム剤について第二の三に掲げたキノホルム剤の適応症・用量等一覧表記載の適応症のうち少くともアメーバ赤痢以外の適応症(アメーバ赤痢を除いたのは、原告らの中でアメーバ赤痢の治療のためにキノホルム剤を服用した者はいないので、アメーバ赤痢に対する有用性を論じないこととしたためで、アメーバ赤痢に対する有用性を肯定する趣旨ではない。)と既に認定したところのキノホルム剤により発現する疑いのある神経障害とを比較すれば、当然有用性ないし安全性を欠くので、被告会社らは直ちに少くとも適応症をアメーバ赤痢に限定し副作用として神経障害が発現する疑いがある旨警告するなどしてキノホルム剤がアメーバ赤痢以外の病気の治療に使用されないよう確保するための適切な措置をとるべきであり、被告会社らが右のような措置をとっていれば、原告らのスモンによる損害は発生しなかったものである。しかし、被告会社らは、右のような措置をとらずにキノホルム剤の製造等を開始し又は続行しており、これは既に述べたキノホルム剤の副作用に関する情報についてその収集を怠り若しくは正当に評価することを怠って結果予見義務を懈怠したためか、又はキノホルム剤により神経障害が発現することを予見しながらキノホルム剤の使用を有用性がある範囲に限定するための右のような適切な措置をとることを怠って結果回避義務を懈怠したためかのいずれかであることは、明らかである。従って、いずれにしても被告会社らは、医薬品の安全性を確保する注意義務を懈怠したので、過失があり、原告らのスモンによる損害を賠償する不法行為責任がある。なお、エンテロ・ヴィオフォルムとメキサホルムについては、被告チバは製造者として、被告武田は販売者としていずれも責任があり、両者の関係は既に認定したとおりであるので、両者は民法七一九条一項の共同不法行為者として連帯して損害賠償責任を負うものである。
第五被告国の責任
被告国が厚生大臣をして医薬品の製造又は輸入について許可又は承認をさせているものである事実及び厚生大臣が原告ら主張のとおり被告会社らが製造又は輸入するキノホルム剤につき許可又は承認をした事実は、いずれも当事者間に争いがなく、後に認定するとおり原告らはいずれも厚生大臣が製造又は輸入について許可又は承認をしたキノホルム剤を服用したため(原告中里直次については服用したキノホルム剤の販売名が明らかでないが、弁論の全趣旨により当時キノホルム単体は販売されていなかった事実が認められるので、同原告がキノホルム単体でなくキノホルム剤を服用したことは確かである。従って、同原告の関係でも厚生大臣が製造又は輸入について許可又は承認をしたキノホルム剤を服用した事実が認められる。)、スモンが発病したものである。そこで、原告らのスモンによる損害に対する被告国の国家賠償責任について判断する。ここでは、厚生大臣の安全性確保義務、反射的利益論についての当裁判所の判断、国家賠償責任の成立の順序で述べて、被告国に国家賠償責任があることを明らかにする。なお、原告らは被告国の責任につき種々の法律構成を主張しているが、以下のとおり被告国の責任が認められるので、原告らのその余の主張については判断しない。
一 厚生大臣の安全性確保義務
先ず、薬事法上厚生大臣が医薬品の製造承認等にあたって安全性を確保する義務を負っていることについて述べる。
わが国の医薬品等に関する法制の基本法である薬事法は、昭和一八年法律第四八号として制定されたが、戦後、新憲法の制定に伴い全面的改正がされて新しい薬事法が昭和二三年法律第一九七号(以下「旧薬事法」又は「旧法」という。)として制定され、数次の部分的改正を経て、再び全面的改正がされて現行の薬事法が昭和三五年法律第一四五号(以下「現行薬事法」又は「現行法」という。)として制定された。このうち旧薬事法と現行薬事法が本件で問題となるので、次に、右両法について医薬品の製造等に対する国の規制を中心にその概略を述べる。
旧薬事法と現行薬事法は、いずれも医薬品等に関する事項を規制し、その適正を図ることを目的とするものであり(旧法一条、二条一項、現行法一条)、医薬品の製造業者は製造所毎に厚生大臣の登録(旧法二六条一項)又は許可(現行法一二条)を受けなければならず、公定書に収載されていない医薬品を製造しようとする場合は、厚生大臣の許可(旧法二六条三項)又は承認(現行法一三条一項、一四条一項)を受けなければならないものとしている。そして、厚生大臣は旧法においては薬事委員会(のちに薬事審議会)の建議(のちに諮問)に基づいて(三六条四項)、当該製造品目の成分・分量(成分不明のときは本質)、製造法、用法、用量及び効能を審査して許可の可否を決定し(旧薬事法施行規則二二条)、現行法においては必要に応じ中央薬事審議会に諮問し(三条一項)、当該製造品目の名称、成分・分量、用法、用量、効能、効果等を審査して承認の可否を決定するものとし(一四条一項)、許可又は承認を受けた基準に適合しないものの製造等を禁止するものとしている(旧法三一条、現行法五六条二号)。また、医薬品の輸入販売業者については製造業者の規定が準用されている(旧法二八条、現行法二二条、二三条)。更に、公定書については、厚生大臣は医薬品の性状及び品質の適正を図るため、旧法においては薬事委員会の提出する原案に基づいて日本薬局方及び国民医薬品集を発行し(三〇条一項)、現行法においては中央薬事審議会の意見を聞いて日本薬局方を定めるものとし(四一条一項)、公定書に収載された医薬品については性状又は品質が公定書で定める基準に適合しないものの製造等を禁止するものとしている(旧法三〇条二項、現行法五六条一項)。
従って、旧薬事法及び現行薬事法は、医薬品の製造等に関する国の規制として、厚生大臣が公定書を定め、公定書に収載された医薬品については性状又は品質が公定書で定める基準に適合しないものの製造等を禁止し、公定書に収載されていない医薬品については厚生大臣の許可又は承認を受けなければ製造又は輸入ができず、許可又は承認を受けた基準に適合しないものの製造等を禁止しているものである。すなわち、厚生大臣は医薬品の製造等について公定書と製造承認等の二本立の方法で規制し、医薬品に関する事項の適正を図るとの目的を達成しようとしているということができる。
さて、既に述べたように旧薬事法は新憲法の制定に伴って制定されたものであり、現行薬事法は旧薬事法を承継するものである。そして、憲法二五条一項により国はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき責務があると解されており、同条二項は国がすべての生活部面について公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないと規定しているので、旧薬事法及び現行薬事法を解釈するにあたっては、憲法二五条がその背後にあることを考慮しなければならない。また、既に述べたとおり医薬品の製造者(及び販売者)が安全性を確保する注意義務を負っていると解したのであるが、医薬品の製造者は、商品として医薬品の製造等をしているので、目先の営利を追求するあまり安全性確保義務の履行をなおざりにするおそれがあり(現代社会における製薬企業間の新薬開発競争や売込、広告宣伝の実情に鑑みれば、医薬品の製造者が安全性確保義務の履行をなおざりにしたのはキノホルム剤だけであるということはないものと思われる。)、医薬品の製造者に対して安全性確保義務の遵守を期待しただけでは、実質的に国民の健康が医薬品の危険な副作用から守られているということはできない。従って、公正な立場と医薬品の安全性を確認するための高度の技術と組織を有し得る国が医薬品の安全性確保に関与することは、国民にとって極めて必要性の大きいことであり、このことも旧薬事法及び現行薬事法を解釈するにあたっては、考慮しなければならない。
そこで、旧薬事法及び現行薬事法の目的の「医薬品に関する事項の適正を図る」ことには、適正な医薬品すなわち有用性ないし安全性がある医薬品を国民のために確保することが含まれていると解すべきであり、厚生大臣は右目的を達成するために医薬品の製造等を規制しているので、厚生大臣は医薬品の製造承認等にあたって当該医薬品の有用性ないし安全性を確保する義務を負っていると解すべきである。また、旧薬事法において製造許可をするに際し、当該製造品目の成分・分量及び製造法だけでなく、用法、用量及び効能も審査するものとし、現行薬事法において製造承認をするに際し、当該製造品目の名称及び成分・分量だけでなく、用法、用量、効能及び効果も審査するものとしているのは、厚生大臣が許可又は承認に際し当該医薬品の有用性を審査することを規定しているものであり、有用性があることと安全性があることは原則的に一致することは既に述べたとおりであるから、この点からも厚生大臣の安全性確保義務を認めることができる。すなわち、厚生大臣は薬事法上医薬品の製造承認等にあたって安全性について審査をして安全性を確保する義務を負っているが、右審査は、既に述べた健康の価値や現代社会における医薬品の特徴を考えると、科学として最高の水準におけるものでなければならない。なお、旧薬事法及び現行薬事法はいずれも安全性についての審査基準や審査手続、許可又は承認後の追跡調査制度、許可又は承認の取消撤回手続などの規定を欠いているが、これを立法上の不備とみるかどうかは別論として、安全性確保義務があるとの解釈の妨げとなるものではない。
厚生大臣が負っている医薬品の製造承認等にあたっての安全性確保義務の内容を具体的に述べれば、次のとおりである。
厚生大臣は、医薬品の製造承認等の申請があると、当該医薬品及びその類縁化合物について安全性に関する医学、薬学その他関連諸科学の分野における文献、報告その他の情報、動物実験及び臨床試験の結果などに関する資料を申請者に提出させ、必要に応じて、自ら右資料を収集し、安全性について調査研究を自らするなり研究機関に依頼するなどして、その当時における科学として最高の水準で審査して当該医薬品の安全性を確認しなければならない。そして、厚生大臣が前記審査の結果当該医薬品について危険な副作用の存在を予見(危険な副作用について合理的な疑いを持つ場合を含む。)したときは、当該医薬品の製造承認等をしないか、あるいはある範囲で有用性があるのであれば、当該申請について申請者に用法、用量、効能等を有用性がある範囲に減縮させたうえで製造承認等をし、更に必要があれば製造承認等に安全性確保のための適当な条件を付する(現行法七九条)など当該医薬品が安全に使用されることを確保するための適切な措置をとらなければならない。また、厚生大臣は当該医薬品の製造承認等をしたのちも、前記安全性に関する資料について申請者からの提出や自らの収集を続けるとともに医療機関から副作用情報を収集するなどして当該医薬品の安全性を確保する作業をしなければならず、厚生大臣が右作業の結果当該医薬品について危険な副作用の存在を予見したときは、当該医薬品の使用中止の行政措置とともに製造承認等の取消撤回をするか、あるいはある範囲で有用性があるのであれば、適応症、用法、用量を有用性がある範囲に限定する行政措置をするなど当該医薬品が安全に使用されることを確保するための適切な措置をとらなければならない。
なお、被告国は、厚生大臣の医薬品についての製造承認等は自由裁量行為であり、又は少くとも製造承認等には厚生大臣の裁量的判断にゆだねられている部分があると主張している。しかし、厚生大臣が医薬品について危険な副作用の存在を予見して製造承認等をしないことその他の対応措置をとる場合には、国民の健康に関することなので、厚生大臣の裁量が入り込む余地はないといわなければならず、医薬品の安全性に関する限り厚生大臣は厳格に執行することが義務付けられていると解すべきである。
二 反射的利益論についての当裁判所の判断
被告国は、薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上及び増進という公衆(国民全体)の利益を保護することにあると解すべきであって、副作用のない医薬品の供給を受け得るという個々人の利益を保護することにあると解することはできないので、医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人が厚生大臣の義務違反を理由として国に対し損害賠償を請求することは、単なる事実上の利益ないし反射的利益の侵害に対して国家賠償を請求することであって、法的根拠を欠くものであると主張している。
当裁判所は、被告国の見解とは異なり、厚生大臣が薬事法上医薬品の製造承認等にあたって安全性確保義務を負っていると解したのであり、また、被告国の主張はいわゆる反射的利益論であるが、反射的利益論は、行政処分の取消訴訟において原告適格を画するために発展した理論であるから、国家賠償請求事件である本件にそのまま適用することはできないと考えるべきである。ただ、厚生大臣が薬事法上医薬品の安全性確保義務を負うのは、公衆(国民全体)の利益を保護するためであり、厚生大臣の製造承認等は申請者である医薬品の製造者に対するものであるから、原告らは製造承認等の行政処分の直接の当事者ではなく第三者である。そこで、このような立場にある原告らが厚生大臣に医薬品の安全性確保義務に違反があるとして国家賠償を請求した場合、国家賠償法上も原告らとの関係において右義務違反を違法と評価すべきであるかどうかは、検討する必要がある。
厚生大臣が薬事法上安全性確保義務を負うのは公衆の利益を保護するためであると述べたが、右義務は、公衆を構成する個々の国民の健康を当然想定しているので、少くとも潜在的には個々の国民の健康を保護するためのものであることは明らかであり、義務違反は、その義務の内容、違反の態様等によっては、社会通念に照らして国家賠償法上違法と評価されることがあると解すべきである。そして、本件においては、被害を受けたのは何物にも代え難い価値を有する原告らの健康であること、原告ら個々の国民は医薬品の安全性を確認する手段を持たないこと、国が医薬品の安全性確保に関与することは国民にとって極めて必要性が大きいことなどを考慮すると、厚生大臣の医薬品の安全性確保義務の違反は、社会通念に照らして国家賠償法上も違法と評価されるべきである。
三 国家賠償責任の成立
厚生大臣は国の公権力の行使にあたる公務員であるが、厚生大臣には次のとおりその職務を行うについて過失がある。
厚生大臣が薬事法上医薬品の製造承認等にあたって安全性確保義務を負っていることは、既に述べたとおりであるが、右安全性確保義務は国家賠償法上は注意義務(結果予見義務及び結果回避義務)としてとらえることができる。そして、厚生大臣がキノホルム剤の製造承認等の審査の際も製造承認等をしたのちも(昭和四五年八月の椿忠雄のキノホルム説の発表まで)キノホルム剤により神経障害が発現することを予見していなかった事実は、弁論の全趣旨により認めることができるが、第四の三で被告会社らの予見可能性について認定した事実は、すべて厚生大臣についても認定できるので(厚生大臣は昭和三五年初め頃までに第四の三で認定したキノホルム剤の副作用に関するグラヴィッツとバロスの報告及びその他の各情報を知ることができたので)、厚生大臣は昭和三五年初め頃までにキノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的な疑いを持つことが可能であったといわなければならない。従って、厚生大臣はキノホルム剤の製造承認等にあたって結果予見義務を懈怠した過失があるものである。
そして、厚生大臣がキノホルム剤の前記危険な副作用を予見して申請者に効能等をアメーバ赤痢に減縮させたうえで製造承認等をするなど、製造承認の審査の際又は製造承認等をしたのち、キノホルム剤がアメーバ赤痢以外の病気の治療に使用されないよう確保するための適切な措置をとっていれば、原告らのスモンによる損害は発生しなかったものであり、厚生大臣が右安全性確保のための措置をとらなかったことが国家賠償法上違法と評価すべきことは、前項に述べたところである。
すなわち、被告国は原告らが受けたスモンによる損害について国家賠償責任がある。なお、原告中里直次を除く原告らについては、被告会社らの損害賠償責任があるとともに被告国の国家賠償責任があることになるが、両者は別個独立に成立するものである。ただ、両者は損害賠償の範囲が共通であるから、被告会社らと被告国は、右原告らの関係では不真正連帯の責任を負うものである。
第六損害
スモンによる損害の一般論として、先ず、スモンによる被害について後遺症の内容と被害の実態を述べ、次に、包括請求の当否、弁護士費用及び遅延損害金の起算日について当裁判所の見解を示し、最後に、慰藉料額の算定について考慮する事項を述べる。
一 スモンによる被害
スモンの臨床的特徴が第一の二に掲げたスモンの臨床診断指針のとおりであることは既に述べたところであり、各原告の病状は第二章の第二において認定するとおりであるが、ここで、スモンの後遺症について述べる。後に認定するとおり、原告らの中でスモンの発病が最も遅かったのは原告大前喜美代で昭和四五年九月であるが、それからでも八年余を経過しており、最も早かった原告町田房子に至っては発病した昭和三五年九月から既に一八年余を経過しているにもかかわらず、原告らはいずれも未だにスモンの後遺症に苦しめられているものである。
《証拠省略》並びに第二章の第二において認定する各原告の病状を総合すると、次のとおりの事実が認められる。
スモンは発病して急性期を過ぎるとある程度回復に向うが、約一年を経て残った症状は後遺症として固定する(その後再燃又は増悪することはある。)。スモンの後遺症は知覚障害、運動障害、視覚障害等であるが、それらが複合的に存在し、多くの患者は老化、合併症等と影響しあって複雑な症状を呈している。知覚障害は、すべての患者に後遺症としてあり、足首から先だけの者から胸部に及ぶ者まで範囲に差があるが、末端にいく程強く、股部も強い者がある。知覚障害には外部からの刺激がないのに常時しびれ、締付け感、痛み等を感じる自発性の異常知覚と、外部からの刺激に対して表在覚が過敏になる知覚過敏と、逆に触覚、温度覚、痛覚等の表在覚が低下する知覚鈍麻がある。また、深部覚が障害されて下肢の振動覚、位置覚等が低下している。なお、多くの者は自律神経症状として知覚障害のある部位が冷え、皮膚温も末端にいく程低くなっている。運動障害は約七〇パーセントの患者に後遺症としてあり、末梢性麻痺と中枢性麻痺の両方ともあるのが特徴であるが、重い場合は歩行が困難になり起立不能な者もいる。末梢性麻痺は下肢に現われるが、足首から先の部分が特に強いことが多く足首が効かなくなってしまうものであり、中枢性麻痺は膝から体幹部に現われ、異常姿勢反射、筋緊張の異常等を示すものである。また、筋力の低下をきたし、けい性歩行、内反尖足になる者が多い。視力障害は約二〇パーセントの患者に後遺症としてあり、視力低下、視野狭窄欠損及び色覚異常であるが、重い場合は失明している。更に、膀胱直腸障害が後遺症としてある者が約五〇パーセントあり、比較的軽いものが多いが、失禁、排尿障害、便秘等になっており、性機能の障害が後遺症としてある者も多く、勃起不全、性感の減退等になっている。このほか、後遺症として、下肢の末梢血管障害及び発汗異常等の自律神経症状のある者があり、また、前記以外の内臓障害のある者や精神障害、性格変化を残している者もあるといわれている。以上のようなスモンの後遺症に対し現在のところ有効な治療法はなく、運動障害についてリハビリテーションによりある程度の機能回復が期待されているだけである。
スモンの患者は右のとおりの後遺症に苦しめられているが、スモンによる被害について、《証拠省略》並びに第二章の第二において認定する各原告の生活状況を総合すると、次のとおりの事実が認められる。
スモンによる被害は、患者の身体的障害にとどまらず、日常生活、家庭生活、社会生活のあらゆる場面に及ぶ広範なものであり、また、患者自身だけでなく患者の家族にも及んでいる。先ず、スモンの患者が発病以来多くの肉体的苦痛を味わっていることは、もちろんであるが、特に前記自発性の異常知覚は、外見的に他人にはわからず、しかも殆ど間断なく続くもので、患者に非常な苦痛を与えている。また、スモンの後遺症に対し現在のところ有効な治療法がないことも、患者の苦痛を倍加するものである。そして、スモンの発病による直接的な経済上の支出増として治療費があるが、発病後の期間が長く、入通院のための間接的な出費、治療器具の購入、暖房費等も含めれば、多大な額に及んでいるのが一般的である。次に、スモンによる身体的障害は患者の日常生活に多くの支障をもたらしているが、特に歩行不能者や失明者の場合は、自力で日常生活を過すことができず介護を必要とするので、患者の家族は自ら介護をするか、介護費用を負担しなければならず、家族に対する影響も非常に大きなものがある。そして、日常生活上の支障に関連する経済上の支出増として、日常生活の便宜を図るための住宅の改造費や設備の購入費、通勤等のためのタクシー代などがある。更に、スモンによる身体的障害は患者の労働能力の低下喪失をもたらし、そのため有職者の場合は、職を失ない、転職せざるを得ず、あるいは在職できても閑職に配置されたり昇進が遅れるなどして、経済的な損失を受けている。これは、既に述べた支出増とあいまって、患者及びその家族の経済生活を圧迫し、不動産を手離したり借金をする者もあり、殆どの患者が生活(家計)の不安を感じている。また、主婦の場合、家事や育児が不十分にしかできず、あるいは全くできなくなるため、家族に対する影響は直接的かつ甚大である。そこで、スモンの患者及びその家族は、教育、結婚、老後、事業、職業、余暇等における将来の生活設計について、発病のためその変更を余儀なくされた者が多く、特に青年期に発病した者は長い将来の多くの可能性を失ない、そのうえその家族に極めて大きな精神的負担を与えている場合が多い。このようにスモンの患者の家族の精神的、身体的、経済的負担が大きいため、患者と家族の人間関係が悪化し破綻することもある。更にまた、スモンの患者は、日常生活上の支障や経済生活の困難から、親戚、近隣、職場等の人間関係が悪化することが多いが、特にスモンの感染説、奇病説は、患者自身が悩んだばかりでなく、患者と一般社会との人間関係を悪化させ、患者が社会的な差別を受けたりしたため、患者及びその家族に一層苦痛を与えたものである。
以上認定したことは、スモンの患者の苦しみ、悩みのいわば一端に過ぎず、スモンによる被害のすべてを網羅したものではない。結局、スモンの発病は患者の日常生活、家庭生活、社会生活ひいては人生に極めて深刻な影響を与え、そのすべてがスモンによる被害であるというべきであろう。
二 包括請求等
原告らは、スモンの被害を総体として把握し、包括的に被害回復費用を請求する方式が最も実態に適しているとして、各原告が受けた損害額(慰藉料)を三段階に分けて一定額を請求しており、いわゆる包括請求をしているので、先ず、包括請求の当否について判断する。
スモンによる被害は、前項において認定したとおり、患者の身体的障害にとどまらず、日常生活、家庭生活、社会生活のあらゆる場面に及ぶ広範なものであり、かつ、スモンの発病から現在まで長期(原告らのうち最も短かい者でも八年余)にわたって発生したものである。従って、通常の損害賠償請求事件におけるような財産的損害について個別的項目を列挙してその積算した金額を損害額として主張立証する方式をとることは、スモンによる被害には個別的に財産的損害として構成することになじみにくいものが多くあること、スモンによる被害から財産的損害として個別的項目を拾い上げることは、古いことについては記憶を辿るだけでも大変であり、かつ多岐にわたって複雑厖大になること、財産的損害に関する証拠は既に散逸しているものが多いこと(スモン発病当時は病因が不明であり、患者及びその家族が訴訟のために証拠を保存することは全く期待できない。)などから、非常に困難なことであると思われる。そこで、財産的損害について個別的項目を列挙して積算する通常の方式によらず、精神的損害と財産的損害を合わせて包括的にスモンによる全損害として主張立証する方式をとることができれば、被害者にとって便宜であるということができる。また、このような包括請求におけるスモンによる損害の額は、スモンによる障害の程度その他の障害に関する事項を類型化し、その類型毎に通常生じる損害を積算したり、類似損害賠償請求事件における認容額を参考にしたりして、総合的に判断し、スモンによる損害の額として社会通念に照らして妥当と思われる金額を算定することとすれば、合理的に算定することが可能である。そして、このようにして算定された金額を慰藉料の額として把握することは、慰藉料のいわゆる補完的作用の拡張として考えることが可能なので、理論的にも正当である。すなわち、本件訴訟における包括請求を認めることができる。
次に、弁護士費用についてであるが、原告らは弁護士費用として慰藉料額の一割に相当する金員を請求している。原告らが別紙代理人名簿記載の原告ら訴訟代理人に本件訴訟を委任した事実は本件記録上明らかなので、本件訴訟の内容に鑑み、各原告について当裁判所が算定する慰藉料額のほぼ七・五パーセントにあたる金額を弁護士費用として認めることが相当である。従って、本件においては前記慰藉料と右弁護士費用を合算したものがスモンによる損害額である。
また、原告らは遅延損害金の起算日を訴状送達の日の翌日として請求しているが、当裁判所は、各原告につきそれぞれスモンの発病から本件口頭弁論終結時までの事情を考慮して、右終結時における損害額を算定しているので、右損害に対する遅延損害金の起算日は本件口頭弁論終結の日である昭和五四年二月一五日とする。
三 慰藉料額の算定
各原告らの慰藉料額を算定するにあたり考慮する事項は、次のとおりである。
1 (障害の程度) スモンによる知覚障害、運動障害、視覚障害その他の障害についての有無、態様等を検討して、障害の程度を総合的に判断する。障害の程度は、精神的損害と財産的損害のすべての場面においてスモンによる損害の範囲を画する最重要の要素なので、慰藉料額を算定するにあたり最も重視しなければならない。特に、歩行不能者や失明者は、自力で日常生活を過すことができず介護を必要とするので、精神的苦痛も経済的損失も非常に大きなものがあり、その障害の程度に応じて格別に配慮しなければならない。
2 (発病時の年令) スモンの後遺症に対し現在のところ有効な治療法はなく、回復が望めないので、発病時の年令は将来におけるスモンとの苦闘の長さを示すものである。そして、発病時の年令の若い者はそれだけ失なった将来の可能性も多いものであり、また、将来の生活設計の変更を余儀なくされた場合の心の痛手も逸失利益も大きいものである。従って、発病時の年令に応じて考慮するが、特に、二十代、三十代の者は格別に配慮しなければならない。
3 (職業) スモンが発病するまでどのような職業に就いており、又はどのような職業に就こうとしており、それがスモンのためにどのような影響を受けたかは、労働能力の低下喪失による逸失利益の多寡を決める要素であるが、それにとどまらず、失職、転職等職業に対する影響は精神的にも強い苦痛を与えるものである。従って、スモンが発病するまでの職業(又は予定していた職業)の内容とスモンによる影響の程度に応じて考慮しなければならない。また、主婦である場合も、家事労働に対するスモンの影響に応じて、有職者と同様に考慮しなければならない。
4 (家族関係) 家族構成がどのようなものであり、スモンの発病時までその中でどのような役割を担っていたかも、精神的損害と財産的損害の両方に関係する要素なので、考慮しなければならない。特に、一家の経済的支柱である者及び乳幼児や学令期の子供を有する母親は、スモンによる影響を一層強く受けるので、格別に配慮しなければならない。
第二章各論
第一各論の認定方針
各原告の個別的認定をするに先立って、個別的因果関係の認定の前提となるスモンの鑑別について述べ、次いで審理の経過と弁論終結についての当裁判所の見解を述べる。
一 スモンの鑑別
《証拠省略》によると、次のとおりの事実が認められる。
1 医学的にスモンと鑑別するには、特定疾患スモン調査研究班の研究成果に従って、第一章の第一の二に掲げたスモンの臨床診断指針に一致する臨床的特徴を備え、スモンの発症前にキノホルム剤の服用歴があり、類似神経疾患でないことが必要であるとされている。
2 スモンの臨床診断指針に一致する臨床的特徴を備えていることは、スモンの鑑別の中心となる要件である。ただ、右指針は「おおむね……」、「……することが多い」、「……よくみられる」、「……ことがある」などの表現を用いており、右指針が列記する症状がすべてあるものだけがスモンであることを意味しないのは当然であるが、更に、「基準」を避けて「指針」としたことからもうかがえるところであって、スモンの症状は多彩な内容を有しており、右指針を完全に満足しないスモンがあることが認められている。右指針に症状がほぼ合致するものを定型スモンとし、右指針と症状の符合度がやや低いものを非定型スモンとしているが、非定型スモンの場合は、特にキノホルム剤の服用歴と類似神経疾患との鑑別に重点が置かれている。すなわち、スモンの臨床診断指針に一致する臨床的特徴を備えているとの要件は、右のような趣旨に解されている(従って、患者の病歴と症状を総合的に検討して右指針との符合度を判断する必要があり、例えば下肢の異常知覚に左右差がある場合に、そのことだけで両側性を欠くからスモンでないと即断したりすることはできない。)。なお、右指針はキノホルム説が発表される前に作成されたもので、腹部症状についての分析が十分でなく、スモンにはキノホルム剤服用の誘因となった一般腹部症状(腹痛、下痢、鼓腸等)とキノホルムの副作用として神経症状の出現直前又はその後に起きる腹部症状(腹部の激痛、下痢等)とがあるが、キノホルム剤は腹部手術後に約束処方に従って投与された例等もあって、一般腹部症状がなくともキノホルム剤を服用していることがあり、キノホルムの副作用としての腹部症状も起きないことがあるので、腹部症状は必発とはいえず、右指針はこの点に関しては右のように修正して理解されている。
3 キノホルム剤の服用歴については、キノホルム剤の服用の有無及び服用量とスモン発症との時間的関係を検討するものである。疫学的分析からは、一日の服用量は約〇・五グラムを越えないと殆どスモンが発症しないとされているが、神経症状発現までの総服用量は一〇グラム以下でもスモンは発症するとされている。キノホルム剤の服用については、診療録等の直接的資料だけでなく、発症に先立って何らかの胃腸薬を服用していたかどうかも調査し、胃腸薬を服用したとの情報があれば、重視する必要があるとされている。なお、キノホルム剤の服用の有無が明らかでなくともスモンと鑑別することは可能であり、その場合は特に類似神経疾患との鑑別に重点が置かれている。
4 スモンはかなり明確な臨床的特徴をもつユニークな疾患であり、その診断は一般に容易であるとされているものの、一見スモンに類似した臨床像を呈する疾患として、主なものにビタミンB12欠乏症(悪性貧血)、ペラグラ、癌性ニューロパチー、腎不全に伴うポリニューロパチー、砒素・鉛・アルキル水銀等の重金属中毒、エタンブトール・イソニコチン酸ヒドラジド等の抗結核剤中毒、デビック病、多発性硬化症、ギラン・バレー症候群、糖尿性ニューロパチー等がある。しかし、いずれの類似神経疾患も、スモンと全く同様の臨床症状、経過及び病理所見を示すものではなく、スモンとの鑑別は可能である。類似神経疾患には神経障害だけからは鑑別が困難なものもあるが、病歴を検討し、神経症状と全身状態を観察し、検査所見、経過、病理所見等を総合して判断すれば鑑別が可能である。また、スモンと類似神経疾患との鑑別が困難な場合は、キノホルム剤の服用歴が重視されている。
二 審理の経過
本件審理の経過の概略は、次のとおりである。
原告らのうち二一名は昭和四八年一月二九日当庁に基本となる事伴(同年(ワ)第一六号)を提起し、その後被告の追加的変更等の手続をとり最終的に現在のそれぞれの被告に確定したのは昭和五二年一〇月であった。原告らの残りの四名のうち三名は昭和五二年六月一六日事件(同年(ワ)第一六八号)を提起し、一名は同年九月一六日事件(同年(ワ)第二五九号)を提起し、いずれの事件も前記基本となる事件に併合審理された。本件は、昭和四八年四月二五日準備手続に付したが、昭和五二年四月一四日準備手続を打切り、同年六月二三日第一回口頭弁論期日を開き、以後続行し、同年一一月一七月から昭和五三年五月一八日までに原告ら全員の本人尋問を行い、昭和五四年二月一五日第一八回口頭弁論期日に被告らの証拠申請をすべて却下して、弁論を終結した。
ここで、各原告の個別的因果関係(各原告がスモンであるかどうか)の立証について述べる。
原告らは第一八回口頭弁論期日までに第二の一ないし二五の各1冒頭に提起する証拠を個別的因果関係を証明するために提出したが、その中に原告ら全員についてスモンであることなどを診断した花籠良一作成の診断書(以下「花籠診断書」という。)が含まれていた。花籠診断書についての当裁判所の見解は、次のとおりである。
証人花籠良一の証言及び弁論の全趣旨によると、花籠良一医師は、昭和三〇年代からスモンの研究に従事し、スモン協の会員、スモン班の班員になり、現在は東京都立府中病院神経内科医長をしているが、スモンに関する研究発表、論文、著書が多数あり、かつ、神経内科医として右病院において多数のスモン患者の治療及びリハビリテーションにあたっているものであって、また、東京地方裁判所等でスモン罹患についての共同鑑定を命じられた鑑定人一五名のうちの一名であり、スモンの臨床に豊富な経験を有する神経内科における最高クラスの研究者である事実が認められる。そして、証人花籠良一の証言によると、同人は昭和五二年六月から同年一二月の間に原告ら全員を直接診察したが、その際は神経学的検査をしたり、症状の経過等について本人からの聴取及び持参した資料の検討をしたりして、その結果に従って花籠診断書を作成した事実並びに同人は公正を期するため原告ら全員を前記病院において診察を求める一般の患者と全く同様に取扱い、右病院の手続に従って花籠診断書を発行した事実が認められる。以上認定した事実を前提とすると、花籠診断書において各原告がスモンであると診断されているが、右診断の信用性は非常に高いものであると解せられる。スモンの鑑別については、前項において認定したとおりの要件があり、証人花籠良一の証言により、同人も右要件に従って前記診断をしたことは明らかであるが、その判断過程は花籠診断書にはあまり記載がなく、右証言でも断片的に知ることができるだけである。しかし、神経内科における最高クラスのスモンの研究者が診察したうえで各原告の症状についてスモンの臨床診断指針に一致する特徴を備え、類似神経疾患でないと判断したことは、明らかであり、当裁判所が各原告について個別的因果関係を認定する際も、右判断は尊重すべきものであると考える。
また、原告ら提出の前記証拠により、原告ら全員について、第二の一ないし二五の各1で認定するとおり、スモンの発症前にキノホルム剤又は胃腸薬を服用した事実を認めることができた。従って、花籠診断書及び右キノホルム剤等を服用した事実を中心に、その他の証拠も総合して判断すると、当裁判所は原告ら全員についてスモンであるとの心証を得ることができた。
一方、第一八回口頭弁論期日までに各原告の個別的因果関係について、被告国及び同田辺からいずれも鑑定の申立があり、被告チバ及び同田辺からいずれも文書(診療録)送付嘱託及び文書(診療録)提出命令の各申立があった。当裁判所は、右証拠申請のうち文書送付嘱託は一部を除き採用したが、その余については右期日までは採否を決定してなかった。
そこで、当裁判所は、本件の審理の経過(特に、原告らのうち二一名については訴え提起後六年余を経ていること)、原告らが提出した証拠による各原告の個別的因果関係の証明の程度、被告らの前記証拠申請を採用した場合における所要時間及び当裁判所の前記心証が覆える蓋然性の程度などを考慮した結果、第一八回口頭弁論期日において、被告らの前記証拠申請を必要ないと判断して却下し、必要な審理がすべて終了したとして本件の弁論を終結したものである。
第二各原告の個別的認定《省略》
第三章結論
第一理由の要旨
本判決の理由は以上述べたとおりであるが、ここで、その要旨を掲げる。
一 スモンとキノホルムの因果関係
昭和四四年九月発足したスモン調査研究協議会(スモン協)及び昭和四七年四月スモン協を引継いだ厚生省特定疾患スモン調査研究班(スモン班)は、いずれもスモン研究のための大型プロジェクト組織であって、スモンに関する各分野の最高クラスの研究者により構成されたこと、研究予算もかなり用意されたこと、スモンの病因解明のために合理的な研究方法がとられたことなどから考察すると、スモン協・スモン班の病因研究の成果は科学として最高の水準にあるものであり、その研究成果として確定された結論は科学的合理性を有するものであると解することができる。そこで、当裁判所は、スモンとキノホルムの因果関係については、スモン協・スモン班の病因研究の成果として確定された結論をそのまま採用することが相当であると思料する。そして、スモン協はスモンの病因について確定的な結論は出さなかったが、その研究を引継いだスモン班は病因研究の成果として昭和五〇年三月スモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであるとするキノホルム説を最終的に確定したことが認められる。従って、当裁判所は、スモン班の右病因研究の成果に従い、スモンの病因はキノホルム剤の服用によるものであると認定する。
被告田辺は井上ウイルス説を強く主張している。しかし、スモン班は昭和四八年三月井上ウイルスについて、追試の結果病原性が認められなかったため、その研究を凍結する措置をとったと報告し、その後に右凍結を解除すべき新しい研究結果は現われていないので、当裁判所は井上ウイルス説を採用しない。
二 被告武田、同チバ及び同田辺の責任
医薬品は病気の治療等の目的で使用される物質であるが、物質の生体に対する作用は多面的かつ複雑であるので、使用目的にかなう作用(有効性)とともに人体に対する害作用(副作用)をも本質的に伴うものである。従って、適正な医薬品であるためには、予定された適応症の患者に対して定められた用法、用量で使用した場合の治療上の効果が副作用による危険性を考慮しても有益であること(有用性)が必要であり、有効性が副作用を上回るという意味で安全性があることが必要である。そして、現代社会においては医薬品は商品として大量に流通過程に置かれており、消費する国民にとっては病気になれば医薬品は不可欠であるにもかかわらずその安全性を確認する手段を持たないばかりでなく、投与する医師や小売する薬局等も医薬品の安全性を確認しないのが実情であるので、ひとたび安全性を欠いた医薬品が流通過程に出現すると、直ちに国民の健康が損われ、その被害は社会的に広範かつ深刻になることが予想される。このような医薬品の特徴を考え、健康が何物にも代え難い価値であることに思いを致すと、医薬品を販売のため製造する被告チバ及び同田辺は、医薬品の製造にあたって、科学として最高の水準で調査研究をして安全性を確保する注意義務を負っていると解すべきである。また、被告武田は被告チバと緊密な提携のもとに、被告チバが製造したキノホルム剤を一手配給人として販売していたものであり、医薬品を商品として大量に流通過程に置く源泉であるということにおいては、被告武田の立場は医薬品の製造者と異なるところはないので、被告武田は、右キノホルム剤の販売にあたって、医薬品の製造者の前記注意義務と同一の安全性確保の注意義務を負っていると解すべきである。
右注意義務の前提となる予見可能性については、本件においては昭和三五年初め頃を基準としてキノホルム剤により神経障害が発現することを予見すること(少くとも合理的な疑いを持つこと)が可能であったことが必要である。そして、グラヴィッツ及びバロスの各報告(いずれも昭和一〇年)はヴィオフォルム(キノホルム)によってヒトに神経障害が発現したとの症例報告であって、キノホルムの副作用として重篤かつ不可逆的な神経障害がある頻度で発現する疑いを濃厚に示す情報であり、右各報告にその他の情報を総合して検討すれば、遅くとも昭和三五年初め頃までにキノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的な疑いを持つことが可能であったといわなければならない。
従って、被告会社らがキノホルム剤により右のような神経障害が発現することについて合理的な疑いを持たずに、又は、合理的な疑いを持っていたにもかかわらず適応症をアメーバ赤痢に限定し副作用として神経障害が発現する疑いがある旨警告するなどの安全性確保のための適切な措置をとらずにキノホルム剤の製造販売をしたことは、前記安全性確保の注意義務の懈怠として過失があり、被告会社らは原告らのスモンによる損害を賠償する不法行為責任がある。
三 被告国の責任
先ず、薬事法上厚生大臣が医薬品の製造の許可又は承認にあたって安全性を確保する義務を負っていることについて述べる。薬事法は昭和二三年制定された旧薬事法と昭和三五年制定された現行薬事法があるが、両薬事法を解釈するにあたっては、憲法二五条が両薬事法の背後にあり、憲法二五条は一項によって国はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき責務があると解されており、二項が国がすべての生活部面について公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないと規定していることを考慮しなければならない。また、医薬品の製造者が安全性確保の注意義務を負っていると解したが、医薬品の製造者は、商品として医薬品の製造をしているので、目先の利益を追求するあまり安全性確保義務の履行をなおざりにするおそれがあり、医薬品の製造者に対して安全性確保義務の遵守を期待しただけでは、実質的に国民の健康が危険な副作用から守られているということはできず、公正な立場と医薬品の安全性を確認するための高度の技術と組織を有し得る国が医薬品の安全性確保に関与することは、国民にとって極めて必要性の大きいことであり、このことも両薬事法を解釈するにあたっては考慮しなければならない。以上の考慮を前提とすると、両薬事法の目的である「医薬品に関する事項の適正を図る」ことには、適正な医薬品すなわち有用性ないし安全性がある医薬品を国民のために確保することが含まれていると解すべきであり、厚生大臣は右目的を達成するために医薬品の製造を規制しているので、厚生大臣は医薬品の製造許可又は承認にあたって安全性について審査して安全性を確保する義務を負っていると解すべきである。そして、健康の価値や現代社会における医薬品の特徴を考えると、右審査は科学として最高の水準のものでなければならない。
薬事法上厚生大臣が医薬品の製造許可又は承認にあたって安全性確保義務を負っていることは、国家賠償法上は厚生大臣の注意義務としてとらえることができ、予見可能性があることは、既に述べた被告会社らの場合と同様である。従って、厚生大臣がキノホルム剤により重篤かつ不可逆的な神経障害が発現することについて合理的な疑いを持たずにキノホルム剤の製造許可又は承認をしたことは、右安全性確保の注意義務の懈怠として過失があり、被告国は原告らのスモンによる損害を賠償する国家賠償責任がある。
四 損害
スモンによる被害は、患者の身体的障害にとどまらず、日常生活、家庭生活、社会生活のあらゆる場面に及ぶ広範なものであり、スモンの発病は患者の人生に極めて深刻な影響を与え、また、スモンによる被害は患者自身だけでなく患者の家族にも及んでいるものである。
スモンによる被害は、このように広範なものであり、かつ、発病から現在まで長期にわたっているものなので、通常の損害賠償請求事件のように財産的損害について個別的項目を列挙してその積算した金額を損害額として主張立証する方式をとることは、非常に困難なことであると思われる。しかし、本件においては、精神的損害と財産的損害を合わせて包括的にスモンによる全損害として主張立証する包括請求方式を認めることができるので、各原告について慰藉料としてスモンによる損害額(弁護士費用を除く。)を算定した。そして、各原告の慰藉料額を算定するにあたり考慮した事項は、スモンによる身体的障害の程度、発病時の年令、職業及び家族関係である。障害の程度は最も重視した事項であるが、特に歩行不能者や失明者は格別に配慮した。発病時の年令については、特に二十代、三十代の者は格別に配慮し、職業については、スモンが発病するまでの職業又は就こうとしていた職業の内容とスモンによる影響の程度に応じて考慮し、家族関係については、特に一家の経済的支柱である者及び乳幼児や学令期の子供を有する母親は格別に配慮した。また、弁護士費用は慰藉料額のほぼ七・五パーセントにあたる金額を相当として認めた。以上の事情を各原告について個別的に認定し、慰藉料と弁護士費用について相当の額を算定して、その合計額をスモンにより各原告が受けた損害とした。
第二まとめ
以上の次第で、原告らのそれぞれの被告に対する本訴請求は、原告大前喜美代及び同粕川宗重のいずれも被告田辺に対する請求並びに原告佐野勝治郎の被告武田及び同チバに対する各請求を除き、第二章の第二の一ないし二五の各3記載の損害額及びこれに対する本件口頭弁論終結の日である昭和五四年二月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で正当であるから認容することとし、原告大前喜美代及び同粕川宗重のいずれも被告田辺に対する請求、原告佐野勝治郎の被告武田及び同チバに対する各請求並びに原告らのそれぞれの被告(右各請求を除く。)に対するその余の請求はいずれも失当であるから棄却することとする。そして、訴訟費用の負担につき原告大前喜美代と被告田辺との間、原告粕川宗重と被告田辺との間並びに原告佐野勝治郎と被告武田及び同チバとの間では民事訴訟法八九条、原告らとそれぞれの被告との間(右各当事者間を除く。)では同法八九条、九二条但書、九三条一項本文(九三条一項本文は原告中里直次と被告国との間では除く。)を適用し、仮執行の宣言は同法一九六条を適用して前記損害額のいずれも三分の二(但し、被告国に対しては三の一)について付することとする。なお、被告国、同チバ及び同田辺の各仮執行免脱宣言の申立は、いずれも相当でないから却下する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川名秀雄 裁判官 大島崇志 裁判官平沢雄二は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 川名秀雄)
<以下省略>